横綱相撲

 ほんとにどうでもいい話なんだが、何人かの鬼畜男子の話を最近聞いて、血気盛んだなぁと思う事しきりである。自分が若かりし頃から全くの潔白であると主張する気は無いが、有史以前の遙かなる昔、試しに二股掛けてみたら、やっぱり一号二号の順番は絶対出来る事に気付き、ほなハラハラしながら二号とお付き合いするリターンは有るのかと自己査定を始めるのが金融マンの習いである。また、仕事のドライなお付き合いでも、さんざん引っ張ったご提案をお断りするのは、勝敗は武家の常とはいえ、誠に心苦しいものである。それが、まぁプライベートでそこそこ心通わせた人と別れるとなると、大変な心労になる。そして、30の大台が見えてきて以降は、別れ際に「実はずっと一緒にいたかったのに」とか、ナパーム弾の直撃を最後喰らう事も増え、これがただでさえ低めの別れ力、PEファンド風に言えばEXIT力を更に蝕んで行く事になる。
 しかし、世の中には豊富なEXIT力を備える男子もままいる訳で、本命様との人生の重要イベントを控えていても、それを秘して平気の平左で遊んでるという情報がふとしたきっかけで入ってきたりする。会社が違えばリスク選好も違うのかと雑な整理も出来るが、僕なんかは万一の場合のリスクの大きさより、むしろEXIT力の不足からエントリーする気も起きないというのが実際の所。なので、鬼畜男子の鬼畜たるを決めるのは、イケメンとかヤリチンとかそういうエントリー要素より、遊んだ後、いかに簡単にビシッと別れや断りを言えるEXIT要素なんだろうなと思う次第で。そういう訳で、「断る力」なんて本を出しているK間女史はK畜女子の素養ありとか、まぁ言いたいだけである。
 ついで首をにゅっと伸ばして世を見渡してみると、EXIT力に頼らずに遊んでいる人も居る訳である。鬼畜男子は何かを隠して遊んでるので、いつかEXITする必要があるのだが、何も隠さなければ、EXITする必要が無い。いわゆる愛人である。これは世代的にそこに差し掛かったからかもしれないが、実にケースが身の回りに多い。20代ではリアル感が無かったものが、30代でぐっとリアル感が増したものを3つ挙げるとしたら、膝で今日の天気が判ること、前立腺の不調、そして愛人であろう。しかし、愛人を作る罪は、既婚を隠して遊び、結婚したい適齢期の女子の時間を空費させる罪と比べれば遙かに軽い。どうせ邪道を行くなら、独身を装って、コソコソ女子を釣るよりも遙かにマシである。その意味で、これを最近「横綱相撲」と呼んでいる。既婚だが、お前次第で如何様にも受けて立つ。まさに横綱。屹立する雲竜型である。或いは「再配分主義者」か。この手は、大体若い相手と遊んでる援助系なので、資源の偏在を自ら正し、消費性向が高い世代への配分を増やす、実に素晴らしい実行の男である。
 オチも何にも無いので、ほんとに言いたいだけである。空キレイ。