遙かなるワハン回廊、或いはクルディスタン

 最初は、アフガニスタンのワハン回廊に行きたかったのだ。自分認定の、世界三大回廊の親玉である。アルメニアとナゴルノ・カラバフを繋ぐラチン回廊は2001年に行った。ナミビアザンビアを繋ぎ、アンゴラボツワナを隔てるガブリビ回廊と、アフガニスタンと中国を繋ぎ、タジキスタンパキスタンを隔てるワハン回廊はまだ行けてない。赤チャートよりもターゲット1900よりも、帝国書院の地図帳を眺めている時間が長い高校生活を送ったタイプの人は、エロマンガ島発見ごときで、コロンブスの如く熱狂する同級生達を冷ややかに見つめ、密かにポーランド回廊消滅以降、世界のどこに回廊が残っているか、思いを巡らせていたと確信する。ワハン回廊は、中でも最も目に付きやすい、いわば回廊の王様的存在であり、地図オタの先駆者であろう三蔵法師もマルコ・ポーロもここを通って東西世界を行き来した、由緒正しい回廊である。いやしくも地図オタを自認するのであれば、やはり実地踏破を目指さねばなるまい。なお、地図に書かれている回廊は、3つの内ワハンとカブリビの2つだけであり、その当時の地図にも今の地図にも、残るラチン回廊は載っていない事は触れておく。ラチン回廊は、アルメニアアゼルバイジャンの戦争の結果、アルメニアが占領した地域なのである。ラチン回廊は地図に無く、実質と地図オタの夢にだけ存在するから、世界三大回廊に名を連ねる意義があるのである。
 アフガニスタンは、治安という面ではこの世の地獄だが、ワハン回廊はアフガニスタンの中でも超田舎であり、内戦当時ですら平和だった地域だ。英語、日本語のトラベルレポートも複数出ていて、直近も平和な地域の様である。アフガニスタンに行くなら、イランが平和な時分には西部のへラートだけ行くというのはアリだったが、今はそれも難しくなり、唯一のチョイスがワハン回廊に思える。そして、いつでも行けると放置しておけば、へラートの様に行けなくなるかもしれない。2000一桁年の後半からは、世界的に治安が悪化しており、ヘラートもトンブクトゥも中米もコンゴも行きにくい地域になった。今だ。そんな思いだった。

これがワハン・コリドール(回廊)

  • アフガニスタンの尻尾というか盲腸というか。 出典:wikipedia

 しかし、悪い予感は当たるもので、航空券を選別していた折に、ワハン回廊は今でも平和な様だが、そこへ入国するルートであるタジキスタン側のホーローグという街で7月に銃撃戦が有ったニュースが入った。余りニュースが豊富な地域では無い為、情報収集には苦労したが、情報が少ない以上は行くのは止めておいた方が良いという判断に傾いた。アフガニスタンの一部は安全だと判断したが、タジキスタンの一部は安全でないと判断したのである。実際行ってみたらどうだったかは判らないが、これまで60ヶ国に行き、怖い目に幸い遭ったことが無いのは、自分で情報を収集し、安全だと確信した所にしか行って無いのも一因だと思う。
 そして次のターゲットはと考え出した時に、頭に下りてきたのがクルディスタンだった。クルディスタンとは、クルド人の土地という意味で、主にイラクとトルコにある。イラクも、報道を見聞きする限り、アフガニスタンに負けず劣らずの阿鼻叫喚の絵図の様だが、クルディスタンクルド人の強力な自治により、平和である事は知っていた。治安という意味ではワハン回廊と同様に、世界の田舎と同等であろう。福岡や小倉で幾ら銃撃戦があっても、大分との国境付近の上毛町辺りでは割と平和、みたいなもんである。外務省発出の海外安全情報は、外務省や商社マンが直面する政治的・軍事的な課題を重視し、旅行者が直面する治安上の課題を軽視しているので、必ずしも盲信出来ないが、クルディスタンの首都、エルビルについては「渡航の是非を検討」、その他クルディスタンと南部のバスラは「渡航延期勧告」、それ以外のイラクが「退避勧告」である。因みに、もう少し旅行者の視点よりだと自分が評価しているUKの海外安全情報は、イラクについて、クルディスタンはno travel restrictions、その他の地域は重要な旅行以外は回避、という評価であった。バスラですら、治安が安定してきた為、観光業再開の為にホテルなどのインフラを整え始めた、というニュースが入る昨今、クルディスタンは相当安全だと僕は判断した。
 クルディスタンは旅の魅力に事欠かない地域である。ここには、巨大な岩盤の上に立つAmadiyaという街があって、随分昔からこの風景を見てみたかった。ギアナテーブルマウンテンもいいけれども、ここはテーブルマウンテンの上の街なのである。

Amadiyaの景観

  • 秘境感満載が良い。 出典:wikipedia

 また、クルディスタンの首都のエルビルは、近代都市に見えるが、歴史的には人類が作った最古の都市の一つで、7000年前からの人類居住が確認されており、アッシリアやメディア時代の痕跡が残る。その上、何と言っても地図オタにはそそるこの地形!

エルビルの街並み


大きな地図で見る

  • ぐるぐるの先は普通の環状路の様である。 出典:Google Map

 何がそそるって、放射環状路型に形成された街は、東京を初めとして世界に数有れど、ここは放射ぐるぐる渦巻き型なのである!これは新しい。いや、でも実際は古い。放射直交路型に特有の、六叉路における信号待ちを考慮した二地点最短移動時間問題において、放射直交路型(ワシントン・国立)、放射環状路型(東京)、直交型(京都・大阪)、それぞれと比べて、放射ぐるぐる渦巻き型がどうパフォームするか、計算してみたくなる美しさである。
 ・・いかん、少し興奮してしまった様だ。そして、この中心のCitadel of Arbilと呼ばれる城砦が、また見事すぎる平山城なのである。

エルビル中心地

  • Amadiyaと似ているが、街の中心地だけが台地になっている。 出典:wikipedia

 日本の平山城と言えば、姫路城、熊本城、松江城あたりだろうが、日本のは正に山に形成されているので、城の区域が不規則なのだが、エルビルは楕円形の岩盤というか高台に形成されているので、山部分が極めて判り易い。この部分は、どうやら旧市街地域として、近代化以前の石の街並みが残っている様だ。

日本の平山城代表として、熊本城。


 そして、湿潤地域の住人としては、半乾燥地域への旅はいつだって旅情がある。そんな訳で、クルディスタンに切り替えて旅のルートを検討を始めた。エルビル空港はそれなりの空港であり、トルコのイスタンブールやアンティオキア、ドバイ、ベイルート、アンマン、バーレーン、ウィーン、フランクフルト等から、それぞれ週何便〜毎日といった頻度で国際線が飛んでいる。しかし、クルディスタンはトルコにも広がっているから、国境の両側でどうクルド人が変わるのか、そこを見たいから出来れば行き帰りどちらかは陸路を絡めたい。また、隣国のギリシャブルガリアグルジアには行った事あるが、実はまだトルコは行った事が無い。そんな訳でトルコin/outを決めて、最安のアシアナでのイスタンブール往復を予約し、そしてイラクビザを東京で取得する事にした。アンカライラク大使館ではどうも取れる様ではあるが、1週間の旅路で、かつ往復のベースになる都市以外でビザを取るとなると、日程的にかなり厳しくなる。東京で予め取れなかったら、クルディスタン入境は難しいと感じ始めていた。
 東京のイラク大使館は、松濤の瀟洒な建物にある。大使館ウェブサイトが指定する複雑な書式を何とかコンプリートして、必要書類としてエイズ検査まで受けて、無垢な体である事の証明書まで持参した。その大層な書類を受付の女性に提出した所、みるみる表情が曇る。

「か、観光ビザですか・・・。商用は出してるんですが、観光ビザの申請は初めてです」
ぐぬぬアンカラでは取れる様なんですが。」
「大使に相談します。大使以外は、サッカーのイラクVS日本戦を控え、ソワソワして仕事になっていないので」
「それはお忙しそうですね。」

 イラク国民はラテン気質の楽しそうな人々であり、一方自分は、1億2000万人の日本人の中でも、割とユニークな行動をどうやらしている様だ。うーん、これは厳しいかと文字通り頭を抱えていたら、結局大使自ら本国と掛け合ってくれる事になり、その結果は後日連絡が来る事になった。その日々をイラク大使館員よりソワソワしながら待つ事になる。しかし、その待ち時間の間に、更に悪いニュースとして、トルコ側クルディスタンで、トルコ軍がクルド人独立派に対する掃討作戦を始め、武器庫が爆発して多数の死者が出たという報道が入ってきた。この状況でトルコから陸路突撃は無謀な愚か者の所業だ。アンカラでビザを取るにしても、週三便のアンカラ−エルビル便を掴まえて空路エルビルに入って、そして空路エルビルからイスタンブールとかアンティオキアに出るという、かなり厳しく、かつ面白く無い旅程となりそうだ。東京でのビザ発給が厳しければ、今回のクルディスタンは難しそうだな、そんな風に改めて思いながら待つ事数日であった。受付の女性から電話が来たる。

「どうやら本国照会で何ヶ月も発給まで掛かる様なので、今回のご旅行には間に合いません」
「そうですか・・」
「ただ、大使曰く、パスポート以外の書類はお預かりしているので、このまま発給照会を続けさせて欲しいとのことです。」
「今回行けないのに何故でしょうか?」
「在日本イラク大使館として、観光ビザの発給実績を作りたいのです。」
「分かりました。それならば、祖国の為に捨て石になりましょうぞ。」
「はぁ・・」

日本人として割とユニークな行動は、どうやら後に続くものへの橋頭堡として、名誉ある先陣を切らせて頂く事に繋がったと思われる。甘寧一番乗り。日本人のイラクへの観光旅行再開の口火を切ったものとして、自分の名前は歴史の比較的片隅に刻まれる事になるだろう。
 そんな訳で遙かなるワハン回廊、或いはクルディスタンの旅は、単なるトルコ旅行に変貌したのである。大山鳴動してトルコ一国とは余りに悔しいので、トルコ近隣諸国で少しは興趣のそそる地域が無いかと地図を見渡すと、キプロス島を発見した。キプロスは内戦の結果、一般的にキプロスと思われている南キプロスと、北部でトルコ人が住む北キプロスに分断されている。ラチン回廊に繋がるナゴルノ・カラバフ共和国は、世界広しと言えどもアルメニアしか承認していない国家であるが、北キプロスは同様に、ゲオルク・イェリネック説による国家の要件たる、自然国土・国民・主権を有しながらも、承認する国がトルコ一国しか無い。世界に承認する国家が1つしか無い国家は、恐らくこの2つの筈である。世界三大回廊制覇は先になったが、世界に承認する国家が1つしか無い国家はこれでコンプリートであり、これは地図オタとしては行っておくべきだと思った。ちなみに、世界に承認する国が無い国家は、ソマリランドと、最近ではマリ北部のトゥアレグ人地域が今年独立を宣言したアザワドなどがあり、世界に承認する国家が2つしか無い国家は、どう考えても名前が異常な「沿ドニエストル共和国」(しかも、承認する国家が南オセチアアブハジアなので、実質ゼロとも言える)である。さして観光地としては面白い所は無さそうな北キプロスであるが、まぁトルコから海路国境を渡ったり、北キプロスから停戦ラインを超えて南キプロスに足を伸ばすのは一興であろう。

沿ドニエストル共和国・版図

  • 青がモルドバ、黄色が沿ドニエストル。チリよりも、トーゴよりも横断が容易な狭隘なる国土。 出典:wikipedia

沿ドニエストル共和国・国旗

  • ソ連邦内で1990年に独立を宣言した為、鎌のマーク。そしてパスポートにはCCCPの表記、通貨はルーブルとコペイカ。 出典:wikipedia