深夜の戦場

 髪を切った。伸びすぎて、ここんとこ雨が多く、その度にバクハツ状態になるからである。美容院には暇つぶしに雑誌が置いてあるのが常だが、その時ふと髪をカットされながら目の前に積まれている雑誌を手に取ったら、「CUT」だった。こういうユニセックスで雰囲気も悪くない雑誌が美容院に置いてあっても不思議では無いのだが、ついカットされるとこでCUTかと、にやにやしてしまった。美容師にはそのにやけ笑いを見られたかもしれない。彼女が「変人の髪を切っている!」と、もし戦慄していたら謝る。
 僕が最近行っている美容室は、渋谷は道玄坂の中腹にあるFreeveである。理由は一つで、朝の6時までやっていて、仕事の帰りに行けるからだ。美容院とカフェの聖地みたいな代官山に住んでいるから、VANILLAとか家の近くの美容院には行ってはみたいものの、土日に突発的に遊びに行く派にとっては、一ヶ月位前から押さえないと予約が入らない「清く正しい美容室」はちょっと敷居が高い。また、徐々に髪型への設備投資とモテ度合いの相関係数はゼロに近いと三十路入りの辺りで判ってきたこともあり、いつでも思い立った時に行けて、それなりに切って貰えるFreeveみたいな所を重宝している。少なくとも、ニューヨークでイタリア人やアイルランド人に切って貰った時の様な酷い仕上がりには絶対ならないし、昨日も日付が変わる頃に行って、髪切って、家帰って、そのまま寝るというラクチンさだった。
 ラクチンなのはいいんだけど、平日の深夜に髪を切るのは、普通とはちょっと違った感覚がある。通常の勤め人にとってみると、髪を切るという行為は休日に発生するイベントである。また、美容室というのは、基本的にファッションとか美的センスみたいなものに満ちた領域であって、少なくとも美容師はオノレがセンス良い髪型とそれに合った服装をしていると確信している状態である。結果、担当が付いていれば特に、お互いの髪型や服装などを僅かに上から目線で褒め合う「刺すか刺されるか」みたいな殺伐とした雰囲気になりがちである。この戦闘に耐える為に、美容室に行く時は、単なる友達と会う時以上に服装に気を遣ってしまう。要は、「なめられない様に」する必要があるのである。しかも、休日であるが故にスーツで終わり、という訳には行かない。また、無意識の世界ではあるが、たっぷり寝た後に行くことが多いから、そもそも血色が良く、朝の身繕いが十分にされた状態で、戦闘を迎えることが常である。
 そんな訳で、美容院という戦場において、僕は意識的にか無意識の内にか準備万端整えて、戦闘能力がマックスの状態でこれまで戦に臨んでいた様だ。しかし、これが平日の深夜だと、シャンプーされた後、鏡に写った自分は、目が疲れて充血し、無精ヒゲが目立ち、疲れた表情で、服装もちょっとヨレてきている状態なのである。勿論、敵たる美容師はシフト制だろうから、土日の美容師と全く同じ戦闘能力を有している。結果、僕は負け感に苛まされながら、髪を切られることになる。髪を切ったら若く見えるから、基本的に美容室に行くと、若返った気になる筈なのだけど、それに至るまでの間、「疲れてるなー」とか「年を取ったなー」とか鏡の中の自分と若い美容師を見比べながら思い続けるのは、なかなかしんどいことである。
 どうやら、それに耐えられる人だけが、深夜に髪を切る資格がある様である。