バカリズムの型紙と笑いの構造

 残業飯食べてる時にR-1グランプリが流れてて、最初の3人までは見た。なので、優勝に絡んだ芸は見ていない。その3人だけのR-1だったが、ふと3人中2人がマセキ芸能社所属であったことに気が付いた。2人目のバカリズムと3人目のいとうあさこである。僕は、昨年マセキ芸能社所属の芸人を集めたマセキ祭りみたいなライブに行ったことがある。その時、ライブを見て、この事務所は芸人の笑いの型紙をきっちり作り込んだり、あるいは実験的な型紙を試し打ちしてみたり、という事に大変熱心だなと思ったが、R-1の芸を見ていて、改めて同じ事を感じた。マセキと言えば、M-1に出てたナイツもそうだし、いとうあさこもそうだが、基本的に一芸人一型紙で、ナイツはヤホーで検索し、いとうあさこはアラフォー自虐をつぶやき、その型紙の中で様々なネタを作って勝負してくる。
 逆に、バカリズムは次々と新しく型紙を作るのが芸風である。こういう芸はなかなか見ないし、出来ることがもの凄いことだと思う。都道府県ネタにしても、YOIDEWANAIKA!の影絵ネタも、イニシャルトークも、それぞれの型紙の中で、幾つかネタを作れる汎用性がある。並みの芸人だったら、その一つの型紙を思いつくのに苦労し、思いついたら、それが飽きられるまで数年は食っていくだろうに、バカリズムは毎月の様にどんどん新しく型紙を生み出している。それぞれの型紙の出来不出来は勿論あるが、仕事上でもアイディア不足に悩んでいる身にとっては、バカリズムは新ネタを見る度に、目の付け所が凄いと毎回唸る次第である。
 ただ、バカリズムについては、型紙の引き出しは多いが、各型紙に共通の笑いの構造を埋め込んでいるとは思う。それがバカリズムの型紙と言えば型紙なのかもしれないし、その抽象度が他の芸人と比べて一段高いというだけなのかもしれない。笑いの構造とは、例えば、同じ事何回繰り返せば人は笑うのかとか、前のボケを何十秒後に掘り返せば人は笑うのかとか、あるいは繰り返して刷り込んだパターンをどう崩せば笑うのかとか、そういったもので、バカリズムはこの日本人の笑いの構造を割ときっちりと分析していて、それにネタを当てはめて作り込んでいる感じがするのである。他の事務所だが、タカアンドトシもそういうネタの作り方をしている。
 型紙とか構造とか、そういうアプローチは、質は保たれるが大化けもしない手法である。もしかしたら、基本的に事務所も本人も、センスやアドリブを信じていないのかもしれない。そういう意味では、型のない個人技主義のブラジルサッカーに対する欧州型管理サッカーみたいなもんだが、お笑いの世界も、人がパフォームする以上、同じ性質がある様である。