どこも格差ここも格差
Bloombergに面白い記事が落ちていた。ついに投資銀行がウハウハだった時代が終わるかもしれない、という内容である。
ウォール街に「出口がない」、銀行が恐れる衰退と失望の長期暗黒時代
バンカーにとって衰退と失望の時代は何年も続きそうだ。業界幹部や投資家がそのような悪い予感を抱いていることが、20人余りとのインタビューで分かった。彼らによれば、それは政府の干渉や迫害のせいだ。現在の停滞の中で勝ち点を上げるには世界が不安定過ぎ、レバレッジとリスク意欲が足りなさ過ぎだという。
ヘッジファンド、ナビゲーター・グループのチャールズ・スティーブンソン社長は「今は金をもうける時ではなく、生き残りを模索するべき時だ」と話す。同社長が住民自治会の会長を務めるパークアベニュー740番地のマンションは11日にデモ隊に取り囲まれた建物の1つだ。同マンションには同社長のほか、投資会社ブラックストーン・グループのスティーブン・シュワルツマン会長やCITグループ最高経営責任者(CEO)のジョン・セイン氏らも住んでいる。「未来はわれわれが知っている過去のようなものにはならない。この泥沼からは出口がない」と同社長は言う。
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資本と流動性の新規則「バーゼル3」の下で銀行は自己資本比率を2倍以上に高めなければならない。米金融規制改革法のボルカールールの草案に従えば債券事業の収入は25%減少しかねないと、サンフォード・C・バーンスティーンのアナリスト、ブラッド・ヒンツ氏が試算した。各社がレバレッジを低下させる中で、規則により株主資本利益率(ROE)が4−6ポイント低下するとモルガン・スタンレーなどのリポートが指摘している。
〜[中略]〜
とは言え、バンカーの未来は暗いばかりではないようだ。米財務省の問題資産購入計画(TARP)の特別監察官を務めたニール・バロフスキ氏は電子メールで、「私ならウォール街のことをそれほど心配しない」として、「金融危機に至るまでの時期に大き過ぎてつぶせない銀行が謳歌(おうか)していたシステム上の有利さは短期的には後退したかもしれないが、本質的な構造は変わっていない。良い時代が戻ってくれば再び最高益と最高ボーナスへとまっしぐらに進む銀行を後押ししてくれるだろう」と語った。
出典:Bloomberg.co.jp
真面目な話の前に、全世界にスティーブンソン氏の住所が配信されている件が、個人情報保護にやたら敏感になった日本人のセンスからすると凄すぎて呆れたが、このパークアベニュー740番地は、有名な高級アパートメントなので酒場ネタに覚えておいてもいいだろう。外見はこれで、抑制された高級感が、ある種の人々を惹きつけるのだろう。
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このアパートメントは1929年、大恐慌の年に完成し、恐らく歴代住民として一番有名なのはジャクリーン・ケネディである。金融界からの住民は記事の通りだが、その他にエスティ・ローダーのローダー家の人や、ウェディングドレスのトップデザイナーのヴェラ・ウォンも住んでいる。ヴェラ・ウォンは名前の通り中華系だが、彼女の祖父は、蒋介石政権の下で軍事大臣を務めた人物で、父は共産党が中国本土を支配した1947年にNYのアッパーイーストサイドに移住した、富裕なビジネスマンだった。今風に言えば、ヴェラ・ウォンは太子党の娘だった、という事だろうか。ヴェラ・ウォンは恐らく独身男性諸氏には無縁のブランドだが、婚約前後位のタイミングで、愛する人がこの単語を呟き出したりするのは、お財布にとってかなりの危険サインなので、ご注意あれ。50万100万のドレスへの出費なんて屁でもねぇ、という太子党めいた人は、「この単語」に対して、上くらいの軽い蘊蓄でさらりと切り返すのが良かろう。きっと、SATC脳の女子には刺さるであろう。
ちなみにであるが、ヴェラ・ウォンの祖父が仕えた蒋介石の夫人たる宋美齢も、蒋介石の死後、1975年にニューヨークに移住する。終の棲家となったのは、パークアベニュー740番地と同じか、それ以上にプレスティージャスな、10 Gracie Squareであり、このアパートメントは1930年完成である。その後のひどい崩壊とセットとはいえ、バブルは文化を遺す側面がある。
既に脱線の方が長くなりつつあるが、本題はウォール街の暗黒時代が長期化するかと言う事だった。なんか脱線の方が面白い話の様な気もしてきたので、本題の方は簡単に述べよう。引用した記事の対立する二つの意見はどちらもある程度正しい。銀行業の、本質的なシステム上の有利さは変わっていない。但し、バーゼル3に代表される、デレバレッジ政策は、そのパイを縮小させる。倍の自己資本比率が要求されるなら、最大でアセットは半分になる。もの凄く雑なのを承知で言うが、アセットが半分になるなら、アセットで食ってる金融の人は半分以下にしないとビジネスは回らない。また、アセットを縮小させずとも、自己資本を増強する事で賄う手も勿論ある。その場合でも、よりハイリスク・ハイリターンな資産に傾斜しない限りは、必然的にROEは低下する(アセットを減らした場合も同様)。金融機関の株主がその低下したROEを許容するかどうか。事業会社のROEが金融危機によって低下して良いという事になっていない以上、金融機関だけ低いROEでは許容されない。結果として、金融機関がROEを保とうとすれば、人件費を中心としたコストを減らすしか無い。売上を上げようとすると、それは高いリスクの裏返しなだけだからである。
そう、金融機関にとって、内部に分配できるパイは量も単価も減るのが必然なのだ。ただ、それはシステム上の有利さから、無くなりはしない。単価としては、もともとボーナス偏重の業界だから、ボーナスのアップサイドが減るという話だ。だから、パイの圧縮方法として先に来るのは、量の圧縮である。この量の圧縮に生き残れば、何時かまた、かつて程じゃないにしても、結構いい時代が来るのだろう。でも、そこまで生き残れない人が結構出る。例のデモは、ウォール街の中と外との格差の話、こちらはウォール街の中での格差の話。どこもかしこも格差だけは充実の構図である。
最後に、あらためて考えてみると、レバレッジの拡大は、パイの拡大であって、バブルは崩壊するまでは、基本的に皆が儲かって、参加者にはいい話だった。今はその逆サイクルだが、パイの縮小は、取り合いの構図に必ずなる。皆が儲かっている時は、その中で取り分け儲かっている人が居ても、許せる感じがするものだが、自分が儲けの構図から外される時に、残った人が結構儲けだした、というのは、大変腹が立つものだ。パイ拡大時の格差はダイナミズムを産み、パイ縮小時の格差は不満と保守化を産むのだ。日本人が今になって、歴史上かなり小さい格差にブー垂れて、でも痛みを伴う改革は余り出来ないのは、それはパイが縮小しているからだ。ウォール街でも、パイ縮小化での格差は、これまでとは比べものにならない程、儲ける事への厳しい視線となるだろう。その視線が、政治と結びついて、また新たな動きを産むかもしれない。それは、先進国が社会主義っぽくなるって言うより、きっと、パイが拡大していて、よりフリーダムな今の中進国に金融の重心が移るってことを軸とした、悲喜こもごもの幾つかのサイドストーリーという事なのだろう。パイ縮小時に発生する、この足の引っ張り合いこそ、ヘゲモニーはなぜ移るのかの一つの本質だと、僕は最近思っている。