Day 3 /世界はやっぱりフラット化している

 カタールっつうのは起きて次の日になっても、やっぱり殺人的に暑い国である。こんな所、石油さえ出なければ、単なる荒野として存在し、我々人類も滅多に訪れることなく、お互いに平和な関係を築けていたと思うのだが、何の因果か石油がこういう荒野に限ってドボドボ出てしまうので、人がわさわさ沸いて出てきて、その中の一人である僕は自然に向かってブーたれるのである。
 外は暑いのだが、中はクーラーが日本人好みの微調整が効かず、昨今の日本では滅多にお目にかかれない強烈な冷え具合となっており、その寒風吹きすさぶ中、午前中はひたすら遅れに遅れたコラムの原稿を書く。この旅行記にしても平均3,000?4,000字を書いているが、ノートPCやVAIO TYPE-Uではなく、PDAシグマリオン3(以下SIG3)はその用途に十分応えている。当初はWindows-XPがそのまま使えるという利点からVAIO TYPE-Uを買って持参しようと思ったが、到底あのキーボードでは長文が打てそうになかったので、前からeメールの授受位しかモバイルで必要なさそうなが出張などに活躍していたSIG3を持っていくことにした。ブラインドタッチがギリギリ出来る大きさが秀逸である。ディスプレイも5インチと大きく、エディタ上で800字位は一覧可能で、こちらも十分だ。ディスコンになって久しい商品だが、まだまだ手放せそうにない。
 午後は、一個くらいはまともに観光らしいことをしようと、Inland Sea Tourなるものを入れた。要は砂漠ツアーなのだが、砂漠の中に細長い入り江的に海が入り込んでいる地域があり、あたかも砂漠の中の海に見えることから、そのような名前がついたらしい。昨日ホテルのブックショップで地図を買い求め、そこに掲載されていたツアーオペレータに片っ端から電話をしたのだが、軒並み今日はツアーは催行しておらず、一人だと割高になるとのこと。なんたるちや。ドバイでも3年前に同様の砂漠を4WDで走り回るツアーに参加したが、今日の今日で予約しても、うなる程ツアーが有った。カタールも発展しつつある国だが、訪れる観光客の厚みというのはドバイとはまだまだ比較にならないのだろう。結局、120$というのが最安値だったので、そこで手を打つ。一つ400$とか言ってきた不良ツアーオペレータが居たが、そういうのは淘汰されるべきである。それでも高いアクティビティだが、このまままたクソ暑く、かつ何もない町中を歩き回ったり、する事もなくホテルのロビーでダラダラするよりマシであろう。
 カタールの砂は白く、そして固く引き締まっている。ドバイの砂漠は黄色がかって、どことなく金星の様な色だったが、カタールのそれは月の様である。日産の新型パトロール(日本名:サファリ)に乗って、果てしなく砂漠に分け入ると、白の荒野といった風情だ。思わず炎熱の地獄を走っているのに、対極の雪原を思い出す。白と黒というのは自然界に存在しない色だから、使う時は少し色を混ぜないと不自然になると、絵心のない僕に教えてくれた絵のうまいガールフレンドが有史以前におったが、カタールの砂の純粋な白に近い色は、極めて不自然で、まったく生命の存在を感じさせない。敢えて似た白は何だと思いを巡らせれば、どことなく骨の持つ薄い透き通るような白さに近い様にも思われた。

[NIKON D80/SIGMA DC 18-200mm F3.5-6.3]

  • どこまでも白く続く砂漠。

 砂漠というのは、実際に走るとかなりアンジュレーションというか凸凹がある世界なのだが、ここを日本の高い技術力の結晶を駆使して突っ走るのは並のジェットコースターより迫力がある。運転手も悪ノリして、次々とトンでもない崖みたいな所を駆け下りたりする。ドバイでも同じ様な事をしたが、カタールの運ちゃんの方が、よりアグレッシブである。僕は滅多に手に汗握ったりしないのだが、この時は割とハラハラした。Inland Seaに着くと、そこはサウジアラビアとの国境とのことである。カタールの首都ドーハを出発して165kmにして、細長い海を挟んだ先が自由旅行の出来ない閉鎖国サウジアラビアなのだ。カタールが小さい国家なのがよく判る。国境というのは、どこであっても旅人の心をくすぐるもので、車外に出ると暑さに打たれて数秒にして滝の様な汗が流れるが、かまわず海の先の国を見つめていた。
 サウジ側には国境警備隊の建物らしきものがぽつんと有るが、カタール側は白い砂と青い海以外は何もない。そんな辺境なのに、なぜか携帯がピっと鳴って、メールが入る。そう、カタールの携帯キャリアは、W-CDMA/GPRSなので、僕のVodafoneは、通話のみならずパケットサービスまで使えるのである。簡単に言えば、ここで暑さでリアルに死にそうになりながら、2ちゃんに携帯から「焼け死にそうですが、何か?」と書き込みが出来るのだ。世界はフラット化している。昨日、暑さに負けて涼みに入った商業ビルの中の光景を思い出した。携帯のショップだらけなのである。日本もうじゃうじゃ携帯のショップはあるが、例えばデパートの1階が全部携帯のショップという事は無い。カタールはそんな状況なのである。売っている携帯はNOKIASamsungだらけである。日系は辛うじて、ソニエリがちらほらあるという程度か。
 中進国はいま、同時にあまねく高成長を実現している。どこの国も平均して5-10%の成長率だ。日本に居ると、世界はあたかもアメリカと中国と韓国の3カ国から構成されるかの様な錯覚を受け、少し気の利いた人がBRICsが凄いなどと言っているが、BRICs以外の国も今はどんどん成長している。よく考えるとこれは凄い事である。中進国が抱える膨大な人口が、毎年5-10%生活水準を切り上げてくるのである。こうして毎年えらい数の人が携帯ユーザーとなれる所得水準に達して、マーケットが拡大しているのだろう。この最もローエンドの携帯ユーザーのニーズを最初にうまく捉えたのはNOKIAであり、最近気が付いて力を入れてきたのがSamsungである。NOKIAの携帯シェアは全世界で30%を超えている一方、日本勢はゴミみたいなシェアだという事だが、これは対象市場の広がりの差である。そして、今後を考えてみると、日本勢が対象としているような先進国では今後買い換え需要しか発生しないのに対し、NOKIA発展途上国、中進国に強く、ここでは毎年膨大な新規購入需要が存在する。ゆえに、今後もシェアの差はどんどん広がること必至である。ハイエンドの高機能品に特化すると言えば聞こえはいいが、明らかに部品の購買力には差が出るし、ディストリビューションチャネルの効率もR&Dにも規模のメリットは存在する。僕は日本メーカーの戦略には長期的に疑問符を付けたい。
 この話は携帯に限った事ではない。自動車やテレビといった、少し豊かになった人が必ず買いたいと思うようなプロダクトには共通したシチュエーションである。こちらで強いのは韓国メーカーだ。Samsungも、HundaiもLGも、ワールドワイドにディストリビューションチャネルを作り、安くて良い商品を出して、途上国や中進国の需要を取り込んでいる。こういった市場は卸/代理店任せにしていた日本メーカーが苦戦しているのは明らかだ。日本メーカーは価格競争を嫌って、高級品にシフトして戦おうとしているが、10-20年後を見据えた時にこれが正しい戦略なのかは判らない。その時、高級品を買う需要の相当の部分が、今の中進国である可能性は高く、一旦取られた市場に後から再参入するのは至難の業だからである。
 大学2年の時だから1995年に、台湾と韓国の経済を比較した論文を書いて、サークルで作った報告書に掲載した。当時はまだ「スマイルカーブ」なんて言葉も知らなかったが、台湾の企業の方が上流の部品に強く、この強みは今後も維持拡大可能だが、最終商品が主の韓国企業は、ブランド力が低い上に中国メーカーの台頭で価格競争力も無くなって、苦戦するだろうと結論づけたと記憶する。問題認識自体は間違ってなかったと思うのだが、現実には韓国メーカーはこの12年で上流の部品でも積極投資によってメモリやLCDパネル等圧倒的な強みを持つ分野を確立し、最終商品でもNIEsなんて言葉が生きていた当時は全く予見できなかった世界市場の圧倒的な拡大スピードをキャッチアップしてブランド力を付けつつある。
 Web2.0の時代に入り、これと知的生産をサポートするソフトウェア群の発達によってもたらされた知識のトランザクションコストの低下と、世界的な先進国ベビーブーマー世代の引退という人口動態がオフショアリングやグローバルな分業体制を加速させ、もともと資源が豊富な国が多いことと共鳴しながら、途上国・中進国の経済はどんどん発展する。これからの時代は、この先進国以外の状況を見据えないと、政治的にも経済的にも判断を誤るんでは無かろうか、そんな事を砂漠の国で思った。
 さて、そんな小難しいことを考えられる位には体力は回復した様である。昼はホテルのバフェ、夕は近くのレバニーズでガツガツと食べた。バフェのメニューは一体ここはどこの国だろうと思うような、ありふれた洋風料理のオンパレードだったが、一つ聞いたことの無いグラタンの様な形状のスイーツが有って、これはたぶん中東のデザートの様な気がする。理由は、クソが3回くらい付くほどマズかったからである。こんなもんは日本では猫でもまたぐ。3年前にドバイに行ったときも、何とかローカルフードを食べようと探し回ったが、どれもこれもひどい味であった。砂漠に新鮮な食材無く、美食の文化は花開かない。そんな冷厳な真実を思い知った。
 一泊二日の高価な旅はかく終わりを告げ、深夜23時にドーハを出てドバイに戻り、翌朝の7時過ぎにドバイからガーナの首都アクラに向かって飛び立つという強行旅程である。ドーハの空港に向かう矢先に母親からメールが入った。どうやら従兄弟も偶然ドバイに居るらしい。リッツカールトンに泊まっているとのこと。ふん。こちらは間違いなく、今晩は良くてエアポートホテル、普通に行けば空港で寝袋にくるまってマグロと化すだけである。同じ都市に滞在して、血のつながる一族が、方やリッツカールトン、方や空港でゴロ寝。格差社会である。きっと親の育て方の差であろう。
 案の定、ドバイに着いたら、エアポートホテルに行く気力もなく、日焼け止めをトイレで落としただけで、その辺でゴロリと横になる。飛行機をそのまま寝飛ばす夢を見つつ、落ち着かない眠りに落ちた。