桜 × iPhone5s

今年の3月は春らしくなくずっと寒いと思っていたら、突然地球は暖まり、桜が咲いた。命とは生か死かのデジタルな存在であって、花は咲くことで花になるのだ。
そして人間には二種類ある。スマホで桜を撮る人と撮らない人である。でも、桜を撮らない人はかなり少数派だろう。それをSNSに投稿することで自己承認欲求を満足させたり、それを陰でdisられたりするか否かは別として、何か心動くものを見ると記録してしまうのが人間だ。この衝動が無ければ、おそらく文字は発明されず、歴史も発生していなかっただろう。人間とは記録する生き物なのである。
僕はご多分に漏れずスマホで桜を撮る人である。でも、昨年までは桜が咲いたなと思ったら、通勤鞄の中に入れたコンデジを出していた。それが今年からは通勤鞄からコンデジがレギュラー落ちして、高価なRX100ですらベンチメンバーという辛苦艱難を味わっており、桜を見るとポケットからiPhone5sを出してパチリパチリと撮っている。以前のエントリでも書いたが、5sは5以前のiPhoneと比べると飛躍的に画質が向上しており、記録用途なら最早これで十分と思えるからだ。ただ、画角は広角で単焦点である為、背景に余計なものが入りがちだし、単調な遠景になりがちだ。その辺り、ギリギリまで寄った上でデジタルズームを駆使しして補う必要があるが、工夫次第でまずまず意図した構図が出来あがる。長い写真史の中で、ズームレンズが主役だった時代は短く、長らく単焦点レンズが主役だったのだから、これ位でブー垂れてはいけないのである。
桜は美しい。でも桜餅はさして美味しくない。美しいからと言って、なぜ食べようとまで思ったのか。きっと桜餅を発明した人は「食べちゃいたい程かわいい」を実践したのだろうが、たぶん変態だったんだと毎年思う。そんな春が今年も来た。
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