フランスには学べない

フランス人もエアコン使い出した

ネットメディアは、元より広告収入に見合った質でしか無いんだけど、その中でもポータルサイトからのクリックを稼ぐには、お手軽まとめ記事が鉄板な訳で、最近は「Menjoy!」「MY LOHAS」「独女通信」「Pouch」辺りが、四天王と呼びたくなる程、そんなお手軽記事を量産している。お手軽記事だから質もイマイチで、先日は四天王の一つ、MY LOHASがやられた様だ。少しバズった、おフランスではエアコン使わないざます的な記事が炎上気味になったのだ。

記事の要点は、こんな感じである。

南フランスでは30度を越える日は少なくありません。にも関わらず、クーラーなしで過ごせる理由には、ちょっとした簡単な工夫が生活にしみついているのです。

  • 明け方に空気を入れ換え、日中は雨戸を閉め切る
  • 窓にシーツを吊るして扇風機をまわす
  • 体の最大の冷却スポットを冷やす

■出典:My LOHAS

これに対し、エアコン付いてない住居が多いフランスで、2003年の熱波の時に1.5万人もの死者が出た事を指摘するネット民が大量発生。編集部は速やかに「日本の良い子は真似しないで」的な注を後段に入れるという始末となった。
 さて、この元記事であるが、更に鞭打つとすると、南仏の人はエアコン持ってないから的な書き方だったが、そもそもここ10年、フランスでもエアコンが普及し出している事は指摘したい。例として、我ら日本が誇るエアコンメーカー、ダイキン工業を取り上げる。ダイキンはなにげに世界シェア1位の空調メーカーであり、欧州でも30%のシェアでナンバーワンである。ダイキンのヨーロッパ向け売上をピックアップしてみると、熱波以降如実に売上が伸びているのが判る。

 フランス人がエアコンを使う様になってきたのである。円建で見ると、2007年に160円位だった1ユーロが、今や100-130円という事で、その影響を受けて減衰している様に見えるが、年平均為替で換算したユーロ建で見ると、欧州は経済危機が続いているが、売上では熱波前の2倍を維持している事が判る。一点、売上は年度であり、換算レートは年平均の為、換算値は3ヶ月のズレがあるが、年平均為替レートはネットに落ちてるけど、年度平均は落ちておらず、自分で集計するのが面倒なので、ここは大意にズレ無しという事で、お許し頂きたい。
 その販売拡大の結果としてのペネトレーション、普及率がどれ位になったのかは、英文資料も当たってみたがよく判らなかった。見つかったのは、フランスよりマーケットが大きいイタリアで2003年に15%というダイキン自身の見立てと、フランスでの家庭での普及率は2004年に6%であるとした solarcombiplus という所のレポート、並びに英カーディフ大の研究で、フランスにおけるエアコンの最終普及率は2030年段階で50%に至るという予測があった位である。この断片的な情報を繋ぎ合わせ、2004年位からのエアコンの爆発的なセールス拡大を勘案すると、おそらくは現在は10-20%の普及率には至ってるのではあるまいか。以下、この普及率の予想が正しいという前提を置くが、北海道のエアコン普及率は、家庭向け12%とする北海道新聞の記事と、15.8%とする全国消費実態調査の統計があるが、概ね北海道の普及率とフランスの普及率は変わらない。また、フランスも北部と南部では大分暑さが違う為、南仏のエアコン普及率はフランス全土より高い事が想定され、南仏では北海道の普及率を越えている可能性が高いだろう。ここで、南仏の代表であるマルセイユと、札幌・東京の8月の平均最高気温と最低気温を比べてみよう。

 夜間は札幌と同じ位、昼間は東京と同じ位である。日本と比べると、夜涼しめか昼暑めかなのだ。前述の、エアコン普及率は南仏が北海道を上回るだろうという予想は、この気温の差とほぼ見合った水準である事が判る。こう考えると、フランス人は気温と対比した相対感においても特にエアコンを使わない人種では無いと考えるのが合理的だ。そして、2030年に普及率50%という英カーディフ大の予想は、結構な温暖化を読んでいるのだろう。元記事の、明け方に空気を入れ換え、日中は雨戸を閉め切るという方法は、夜涼しくて昼暑い南仏には適した方法だと思われるが、そんな南仏の人々も徐々にエアコンの魔力に取り憑かれている様だ。そんな状況であるなら、敢えて南仏を例に出して、「エアコンが無ければ雨戸閉めればいいじゃない」とマリー・アントワネットを気取っても説得力がないし、実際、夜涼しくて昼も涼しい北海道や、夜も昼も暑い東京が、南仏のやり方を真似ても、余り効果が期待出来ないと言って差し支えないだろう。

多様性を尊重せよなる画一性

この、「フランスではー!」というトピックの構造は、書きやすいのか、結構あちこちで見る訳で、題名からして香ばしい「エラーを許容するフランス、無謬の日本」という記事を初夏に見た。佐藤武司というブランドディレクターの方の文章である。要旨はこんな感じだ。

  • フランス人は自分の用事が最優先。自分の世界にいる人以外への配慮をしない。
  • 「公」の場において「私」の都合を優先させてはいけないというのが日本的な考え方
  • 日本では公共のサービスは「無謬性」が確保されていなければならないという考え方が非常に強いが、(フランス人は)エラーや多様性を許容するゆとりをもって、生きている
  • フランスにいて感じるのは、いろんな人がいて、いろんな価値観があっていい、ということ。日本はその真逆
  • 日本で多様性を当たり前に認めることができるようになるまでにはまだまだ時間がかかりそう

■出典:AdverTimes(アドタイ)

上から3つめまでは良いと思う。でも、4つめと5つめで急に安っぽくなる。この人は、社会とは多様であるべき、という命題を提示しているんだと思うが、多様性を主張しつつ日本という社会を認めないのは、多様性の意味合いからしておかしい。日本は多様性を認めるべきだと言う画一的な考えを、日本人が主張してるんだけど、結局この日本人は多様性が判ってなくて、多様であるべきだという画一的な考えを押しつけてる構造だ。ああ日本人は、フランスに住んだ位では画一性の呪縛から逃れられないのねと感じられて、ちょっと面白い。いろんな価値観があって良いなら、日本人が自ら選び取った画一的な社会だってあって良いのである。論旨を一貫させるなら、日本の様な社会も包摂した多様性を支持するが故に、他国の社会はさして気にしない、とでもすべきである。元記事の著者の主張通り、著者を代表とする日本人が、多様性を当たり前に認めるまでにはまだまだ時間が掛かりそうだし、かく言う僕も、多様性を尊重せよなる画一性の存在を主張する画一性の呪縛に囚われている訳である。
 では、この多様性なるフレームワークでなく、何だったらこの著者の言いたい事をうまく表現できるんだろうか。これを少し考えていたんだけど、同じくパリ在住の友人が「隣人を愛してるから受容できるんですよ」と教えてくれた。フレームワークは愛か。確かに、DQNが騒いだ位でクビにしてるのを見ると、もう少し愛が有っても良いかなとは思う。フランス人がキリストの教えをきちんと守った隣人愛に満ちた民族かどうかは判らないが、そことは独立して、我々は仲良くする事を教える事と、愛する事を教える事の差は、ちょっと考えても良いかなと思う。

フランス人の一意見

最後に、フィガロのフランス人記者の人が書いた記事が面白かったので載せておく。

  • 18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ。
  • 日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ。
  • ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている。
  • 外国に出れば、「ジャングル」が待ち受けているのだ。だからあえて言うが、若者はどうか世界に飛び出してほしい。ジャングルでのサバイバル法を学ばなければ、日本はますます世界から浮いて孤立することになる。

■出典:ニューズウィーク日本版

フランス人も、フランス人向けには「トーキョーではー!」と言ってる気がするが、日本人向けには面白い表現をしている。快適だからこそ、快適ならぬ世界に飛び込まないと学べない。ふむ。僕は全部の若者がそうすべきだとは到底思えないが、ある程度の知的エリート層がそうする意義はあると思う。ビジネスの世界でアナロジーを一つ挙げるなら、ジャングルの世界で戦わず、NTTとの阿吽の呼吸で快適な商売をしていた携帯端末メーカーが、ジャングルで勝ち残った強者アップルやサムスン、中台勢辺りに敗れ去った様な話であろう。でも、ドコモショップの店員までジャングルで戦う必要は無いのであって、ジャングルを戦う資格がある者が戦ってくれば良いのである。エリートが外に出て戦って勝てば、シャープだってNECだってリストラやらずに済むどころか雇用は拡大して、末端はハッピーなのである。そんでもって是非、エアコン使わない生活方法と、多様性を尊重せよなる画一的考え「以外の」ものを学んで、日本にフィードバックして欲しいものである。
以上、パリには行った事が無く、フランスの中では、フランス領ギアナなる世界屈指の辺境のみの滞在経験の人が、フランス的皮肉を目標にお送り致しました。

大人の階段引き続き登り中

 誕生日だった。朝から駐禁切られた。気分悪い。段取りが悪くて昼ご飯を食べれず、夕方餓死しそうになって一人で早めの夕ご飯を食べた。夜の予定も根回し不足で無し。漫画喫茶で「働きマン」を読んでたら、うっかり31歳の誕生日を迎えた年が有ったが、まぁそれに近い体たらく。SNSの誕生日おめでとうメッセージに救われた感じ。

収縮する。

 せっかく誕生日なので、自分を省みると、最近余り活動的では無い訳です。趣味が収縮気味というか。ダイビングとかシーカヤックとかスノボとか全然やってない。僕は、余り一人では活動できないタイプなので、何かやるには友達が必要です。そうか。趣味減り気味なのは、きっと友達が軒並み子育てとか何とかで忙しいのが原因か。謝罪と賠償を要求する。そんな訳で、余暇とか趣味を楽しむには暇な新しい友達を増やす必要がある気がしてきた。そして、その気力が以前より低下しているのがきっと真の原因なんでしょう。
 男というのは、基本社会人になってからは友達が増えない生き物です。社会人になると、利害関係を伴う仕事付き合いが多くなる。女は違います。合コンに平気で

「彼女はー、前の会社の同僚でー、この子はー、ヨガのクラスで同じでー、こっちのきみちゃんはー、ベトナム旅行した時に意気投合したの。」

みたいな、ゆる友達フルセットを連れてくる。ここで問題。

問い:上記の幹事による三人称単数の表現の仕方を参考に、3人を、幹事と親しい順に、及び年齢を高い順にそれぞれ並べなさい
 何となく答えが判るのは、なんて日本人はうざい民族なんだなと思うね。いや、そんな話をしたいのではなかった。そうそう、男性はあんまり友達が増えないという話。同僚ってのも何となく上下関係から逃れられない所があって、退職して関係が自由にならないと、必ずしもプライベートを預けきれない所あるからね。そんな訳でオフ会を通じて趣味志向が似ているクラスタが集まるtwitterは、オッサンホイホイとしては素晴らしいツールだなと思います。 
 しかし、ここまで話して全てをひっくり返すけど、そもそもダイビングやシーカヤックに男とだけ行ってたかと言われると、そうでも無い気がするのが困ったところで。ああ、これらは趣味に加えて、デートの手段という側面もあったのでしょう。うむ。そして猫の額ほどの土地を敢えて焼き畑農業にするが如き過去の所業を省みる訳です。きっと、これからは育てる農業、牡蠣は海のミルクですね。にこり。
 そしてもう一回全てをひっくり返すけど、遊び相手が減った今の現状から類推するに、自分の人間関係を趣味に引っ張る、これまでのアプローチがそもそもダメなんじゃ無いかという仮説も捨てきれない。育てる農業、養殖漁業アプローチの否定。結構人間が出来上がってる30-40代の人間が養殖される可能性、低いと思えてきた。おそらく本格的にサークル的な何かに入った方が手っ取り早いんでしょうね。友達はそこで作ると。名付けて遠洋漁業アプローチ。焼き畑もせず、養殖もせずに、コミュニティから遠出して成体を狩る。どこに漁場があるのか、まずはgoogleから始めましょう。

黒煙上がる。

 もう一つ、仕事の事も省みよう。30歳も半ばを過ぎると、仕事に管理的な側面が混ざってくる。これが言うは易し、行うは難しでありまして、一昔前のターボエンジンみたいに、結構エンジン回さないとブーストが立ち上がってこないタイプの精神設計になっている自分は、仕事の細部に入り込んでエンジン回さないと、アイディアが出てこない。でも、細部に入り込んでくと、単なる担当者になってしまう訳で、他の人が更に矮小化された雑用係になったり、あるいは単に暇になったりで、これではチームとしての力になりません。ただ、逆に管理業務を意識しすぎると、単なるPDCA回しのオッサンになり、自分以外のチームの力の総合計を如何に減らさないか、というバリューしか出ない。自分を含めたチームの力の総合計を如何に増やすか、という観点ではルーチンを破壊するアイディアが必要であって、それが湧いてくるには十分なディテールを頭にインプットしておくのが必要条件であります。
 だからと言って、定例の進捗管理の会議で、このディテールを頭にインプットしようとすると、会議のアジェンダから外れ気味な事を根掘り葉掘り聞くしかありません。そんで、いつしか詰め気味に「何でそうなってるの拳10倍」みたいなのを見舞わせてる自分に気付いた時には、既に会議は2時間経過、みたいな無間地獄です。ディテールは多分、オフ・ザ・会議の時に、暇そうなチームメンバーに色々聞くのが一番良い。最近はそう思ってる。会議は進捗管理+αに止め、創造力を発揮する為にはオフ・ザ・会議の動きが重要。なんか違うスポーツみたいだけど。駆け出し銀行員の頃に、フラフラ歩き回ってる禿げた課長見ながら、何だこの顔も行動も回遊魚みたいな存在は、と思ってたけど、あれ、重要なんですな、きっと。
 後は、重要な所、或いはチームの不得意な所を引き受けて、エンジンをいつも一定回転に保つのも別の有効なアプローチ。余り面白く無い管理業務だけで回転数保とうとして保てず、ずるずるとアテンションが落ちる、という経験を何回かして、僕にはこのやり方は向かないという諦念に辿り着いた。少人数のチームなら、縦だけに割らずに、横にも割って敢えて自分の担当者的役割を作る。これは結構有効で、その分野のディテールから派生したアイディアも出てくるし、そこから全体を見渡す事も出来る。
 そんな事を、日頃からノッキングを繰り返し、黒煙を盛大に吹き上げながら、昨年は感じておったです。黒煙は未だ黒煙ながら、何となく視界が晴れてきた気もしないでも無く、晴れたら晴れたで、その先にはきっと違う風景が見えているでしょう。大人の階段登るのは、重荷を負って遠き道をゆくが如し。急ぐのだけは危険。たぶん。急いでる人も一杯いるな。あれ?

大量出血。 日本 2-4 ウルグアイ

攻撃陣は揃ってきた。柿谷が前田であっても、前の4人だけで攻撃が出来る代表は史上初めてだ。守備がダメダメなのはコンフェデから変わってないけど、ある程度は仕方ない。なぜなら、ザックジャパンのサッカーは、ライン高めにしてリスク覚悟で攻めるサッカーだからだ。相手に合わせた弱者のサッカーで無く、列強と互角に戦える前提を置いて、自分のサッカーをしにいくチームがザックジャパンだ。これも代表史上初めてかと思ったが、そういえば、ろくに守備的MFも置かずにポゼッションを標榜する超強気のジーコジャパンというのが有ったのでした。だからある程度点を取られるのは仕方ない。そして、そもそもスアレス相手に個で止めれるDFは、プレミアでもヴァンサン・コンパニダビド・ルイス位では無いかな。30-50億円くらいの値札のプレイヤーだ。

戦術より選手が攻撃的

問題なのはある程度を超えて点を取られている事であって、吉田のポカが多いという以前に、7年前から言い続けてるけど、日本は守備的な選手を配さなすぎる。コンフェデを制したブラジル代表ですら、ダビド・ルイスにチアゴ・シルバの鉄壁のセンターバックの前のセントラルMF(ボランチ)には、守備的なルイス・グスタボにバランス型のパウリーニョをもってきた。パウリーニョはクリエイティブなロングパスを出せるタイプじゃないけど、守備もドリブルでの攻め上がりも得意。日本代表で一番近いのは歴史的には稲本、今なら長谷部かな。ブラジル代表のセントラルMFを日本代表で表現するなら、長谷部−細貝の様な感じ。これと比べると遠藤−長谷部という日本のセントラルMFが如何に攻撃的か分ると思う。戦術が攻撃的な以上に、選手選定が攻撃的すぎるのだ。遠藤みたいなロングパスを遠くから刺せるタイプをセントラルMFに配するのは、正直このポジションのパイオニアであるピルロを生んだイタリア人のロマンが過ぎる様に感じる。ピルロは機能したけど、ピルロの後ろが鉄壁のネスタとスタムだったから実現した訳で、吉田と今野というセンターバックで行う選択ではないと僕は思う。

優先順位

フィジカルがさほど強くなく、スピードが必ずしも速い訳ではない日本代表の選手を前提とすれば、リアクションサッカー目指すより、ポゼッションを保ち、ラインを上げて密度を高くすることと、ショートパスを多用することでフィジカルコンタクトの不利を補う今のサッカーは間違ってはいないと思う。ただ、それがセンターバックセントラルMFの人選ミスで、点取られ過ぎたり、ライン下がり気味になると完全にスポイルされる。これは優先順位の問題で、遠藤のパスの魅力を取るか、目指すサッカーの戦術を取るか、という話で、これまでずっと両立を目指してきたけど、列強相手には両立しえない事が何度も再現された訳で、ここは遠藤を守備的な選手に入れ替えて、目指すサッカー実現を優先すべきだろう。この個人と戦術の相克に加え、もう一つ要因として考えるべきは、遠藤残した時に、本田が浮くこと。遠藤残した上で守備を強化するなら、岡田システムで4-3-3にして、バックラインは深く、闘莉王にフィード出来る森重、その前にやっぱりアンカーで阿部を置いて、前目のインサイドハーフに遠藤・長谷部。ボール取った後、遠藤か阿部のパス、あるいはサイドが長い距離を攻めあがって、前の3人にボールを渡してゴールを目指す。そんなカウンター気味のサッカーが一番実績もあり自然だと思うが、その時の3トップに本田の居場所が無い。フィジカル強くてボールを失わず、ショートパスで決定機が作れる一方で、右サイドから斜めに入ってきて左足でシュート、みたいなロッベン的プレーは出来ない本田は、典型的なトップ下の選手。3トップは1トップ2ウィングになるから、岡田ジャパンの様に本職でない1トップをやって窮屈そうにプレーさせるか、或いは香川−[柿谷/前田]−本田と並んでウィングをやるかだけど、スピードがそんなに無い本田はウィング向きの選手ではない。これは、ザックジャパンが3-4-3を採用した時に、本田がサイド行って上手くボール回った試しが無いので、実証済でもある。では一個ポジション下げてインサイドハーフか。そうしたら遠藤が要らなくなる。つまり、遠藤をチーム作りの中核に据えたシステムで守備強化しようとすると、本田がスポイルされるし、本田をチーム作りの中核に据えたシステムで守備強化しようとすると、遠藤が使えなくなるのである。
 遠藤か本田か。これはさすがに本田を選ぶべきなのは自明だろう。そして、本田が最も生きるトップ下のポジションを作るには、優秀なセンターフォワードに乏しい日本は4-2-3-1以外の選択肢が無い訳で、それなら「2」の部分は守備的MFを配して、アクシスをがっちり固めておく、ってのが戦術的にも人的にも優先順位に適っている。ジダンが居た時分のフランス代表は、トップ下中のトップ下であるジダンの為に4-2-3-1で戦った訳だが(ジダンが欠場した時は、トップ下が無い4-2-2-2だった)、ジダンの後ろのセントラルMFビエラマケレレという、世界屈指の守備的MFだったのである。

最小限の修正

上記を踏まえると、基本戦術はいじらず、遠藤out・細貝in、吉田out・森重in位で、失点はそこそこ、おそらく3割位は減る様に思われる。或いは、センターバックに森重と栗原を並べ、今野−長谷部みたいなセントラルMFにするか。吉田は、、吉田以上のDFが日本に居ないというのがサカオタの絶望なのだが、ここまでポカが多いと交代しないと示しが付かない。そこんとこ、今野と森重のセンターバックなら、FC東京で組んでたのでコンビネーション上の問題も無いだろう。遠藤抜けるとフリーキックやPKのオプションは減るし、香川との連携が悪くなるが、これは優先順位の問題で已むを得まい。以上、新幹線で移動中につき、twitterのTLでしか試合の動きが分らなかった人のエアレビューでした。

追記

後日、ネットでこんなスタッツを拾った。各選手の平均的なポジションだけど、なかなか興味深い。柿谷と本田のポジションがほぼかぶっているのと、日本の前の4人は密集しているのがよく判る。柿谷はウルグアイの9番スアレスみたいにでんと前に構えるんじゃなくて、少し低めのポジションで流動的にプレーするのを好むのだろう。密集度が高いから中盤の推進力として遠藤のパスに頼らざるを得ない構造な気がする。そしてディフェンスラインが浅い。2006年W杯のドイツ代表の様だ。浅いラインそのものが問題ってより、ライン浅くて更に後ろの選手の守備力が高くない、って事が問題なんだよな。そして一人やたらポジションが深いのは伊野波。一人でライン下げる悪癖がよく出ている。伊野波は足はそこそこ速いので、裏取られがちな攻撃的サッカーに一見向いてそうなんだけど、こういう悪癖が出がちなので、ザックジャパンの目指すサッカーへのフィットはイマイチ。深いラインなら闘莉王の方が良いだろう。

DQN、大企業と出会う。

アイスケースに入って写真投稿して炎上的なDQNのニュースが続いた。知る限り、ローソン→ミニストップバーガーキング→ほっともっと→ミニストップブロンコビリー丸源ラーメンという、ぷよぷよなら連鎖で一発勝利している位の華麗なる血脈である。これに関して、ネットから可視化されにくい低学歴の世界が拡がってるとか、その世界を社会とを切り離さないでとかの関連エントリを読んでたけど、その中で一番心に残ったフレーズが、これ。

同じ場所でけっこうな期間にわたって店をかまえていて、彼らが高校生のころから見てたりもするんだけど、昔だったら、男は肉体労働、女は水商売っていう上がりのかたちがあったはずなんだけど、受け皿のほうが少ないせいか「どうやって生活してんだろこいつら」と思うようなのが増えてる。
■出典:「うちら」の世界/24時間残念営業

実感としてはそうなのだろう。でも、データで見ると、若年失業率は横ばい、ないしは少し改善してすらいる。
○世代別失業率推移

■出典:総務省統計局「労働力調査詳細集計」
 この失業率における失業者の定義は、概ね求職者なので、働く意思がずっと無いと統計には反映されない。なら働く意思のない統計の枠外のニートは増えているのかと言えば、こちらも別の統計上では横ばいか、長期で見れば減少トレンドである。
○世代別ニート

■出典:総務省統計局「労働力調査
 よく見ると30代の高齢ニートは横ばいだが、25才以下は顕著に減少傾向なのである。ただ、職の中味はよく判らない。相当数のブラック企業が混じっている様な気もするが、昔からマグロ漁船とかブラック企業は有った訳で、ブラック企業が減ったのか増えたのかは良く判らない所だ。ま、雑に言えば文句を言わなければ働き口はあるのが現代であって、それは経済の低迷以上に少子化が進んだから、若年労働力は相対的には稀少資源になりつつあるから、と見ていいだろう。
 ついで、失業率は変わってない一方で、肉体労働という受け皿は縮小したのだろうか。若年層の職種別の分散は、多分何か統計を分析すれば判るんだろうけど、簡単には見つからなかった。でも、ぱっと見つかったこのグラフを見るだけで、肉体労働の職種の有効求人倍率が非常に高い事から、肉体労働という受け皿は縮小したかもしれないが、労働者全般に肉体労働を忌避している為、肉体労働に就きたい人がそれ以上に縮小した事が判る。

■出典:賃金上がらず若者敬遠、コンビニに人材流出…深刻な建設作業員不足/MSN産経ニュースWEST
 そう、「どうやって生活してんだろこいつら」という若者は、全体として見れば、働いてないんじゃなくて、肉体労働を嫌って肉体労働じゃない職種に就いているのである。それは、例えばコンビニとか外食の店員とか。文句言わなければ働き口があるんじゃなくて、ある程度は働き口に文句付けてるのである。今のDQNの上がりの形は、肉体労働じゃなくて、大手が多いチェーンオペレーション業態の末端店員なのだ。チェーンオペレーション業態は、肉体労働ほど徒弟制度で厳しく若者を指導するという事は無いだろうし、親方が睨みを利かせて、若者がふざけてたり遊んでたりしたらすぐ見つけてシバく事も無いだろうから、そらアイスケースに入ってウェーイみたいな店員も居るわって話である。
 この現象は、少し抽象度を上げると、建設業みたいなモノを作る第二次産業から、モノやサービスを売る第三次産業に産業構造全般がシフトし続けている流れの一つの末端である。第三次産業は、第二次産業ほどのペースでは生産性向上が難しいし(コンビニの店員が長い経験積んでも倍のスピードで客をさばける様にはならないし、機械化も難しい)、差別性の源泉が商品からブランドや接客みたいなソフト的なものの比重が強まるから(コーヒーチェーン間でコーヒー自体には余り差は無い)、第三次産業は生産性の向上や生産性以前の投入資源の価格競争力、或いは差別性等を実現する前提として、規模がより重要になる。似たようなものを売るなら、規模によってコスト下げないと勝負にならないし、似た存在にならない様に、ブランド投資や従業員接客教育を行うにはそれなりの規模が無いと無理だからだ。だから、差別性に乏しい町の普通の寿司屋は潰れて、あきんどスシローかっぱ寿司に入れ替わるんだけど、結果として規模の大きな全国チェーンは、雇用吸収力も大きいため、その成長の過程でDQNを末端で雇いだす事になる。そう、ここがリスクやクレームに超敏感で厳格な社会のルールの権化みたいなニッポンの大企業と、うちらの論理しか知らないDQNが出会う不幸な場所なのだ。そして、スタバみたいな厳選した採用と、みっちりした教育訓練を、こういったニッポンの大企業の殆どは出来ない為、お客様と、ネット民と、濡れた子猫の様に可哀想なお客様相談室のオッサンの前に、ちょっと訓練されただけのDQNが解き放たれる事になる。
 最後少し脱線だけど、1-2年前だったか、「なぜ、セブンでバイトをすると3カ月で経営学を語れるのか?」なるしょーも無い題の本が出ていた。勇ましい題名ではあるが、ここんとこの状況を踏まえると、DQNがセブンのバイトを3ヶ月しても、ウェーイ!とやったらクビになった武勇伝を語る位が関の山では無いかと思う。でも、よく見てみると、ぽこぽこと続いた事件の中にコンビニ最大手であるセブンイレブンが入っていない。セブンに対しては当に恐るべし。もしかしたら、セブンの従業員教育は少し違ってて、3ヶ月働いたら、アイスケースに入らなくなるどころか、本当に経営学を琵琶法師の様に語り出すのかもしれない。であるなら、日本は徴兵制とか強制介護ボランティアとか下らない議論は止めて、国民皆セブンバイト制を導入して、良き資質を涵養すればいいんじゃないですかね。
なぜ、セブンでバイトをすると3カ月で経営学を語れるのか?―鈴木敏文の「不況に勝つ仕事術」40 (プレジデントブックス)

デトロイト・デット・シティ

国境の南

デトロイト市が破産申請した。デトロイトと言えばモータウンとか色々ネタはあるが、まず地理オタク的には、地形が堪らない事をいの一番に挙げておく。デトロイト市は、カナダと国境を接する唯一の大都市であり、かつカナダに行くのに、南方に向かう米国で唯一の場所である。デトロイト側を挟んだ向かい側のウィンザー市はカナダなのだが、ここがエリー湖とセントクレア湖に突き出した半島になっているからである。デトロイトの、"South of the border"には、そう、カナダがある。


大きな地図で見る

この地図上で、デトロイト市の市域が赤いシェードになっているが、この北辺が8 Mile Roadである。エミネム主演の映画、8 Mileの舞台背景となる道だ。道路一つ隔てると治安が劇的に変わるのはアメリカの常ではあるが、その究極はここかもしれない。

人種的断絶

下記の地図はデトロイト地域の人種分布であるが、青が黒人居住エリア、赤が白人エリア、黄色がヒスパニックを意味する。青いエリアは概ねデトロイト市、8 Mile Roadを挟んで北側が赤に変わって白人居住エリアになり、ここはデトロイト市外である。市の真ん中にぽっかりと白人エリアがあるが、ここはHamtramckという別の市で、南アフリカに囲まれたレソトの様に、或いは広島市に囲まれた府中町の様に、デトロイト市に囲まれた別の市で、ここはポーランド人移民の街との事である。


[出典:Wikipedia]

 直線的な8 Mile Roadが人種間のバイナリーな断絶のラインになっているのが判るだろうか。これは、もともとこういう分布で無かったと思われる。下記に2000年と2010年のデトロイト市の人種構成を示すが、最も大きな人口流出は当然ながら最も大きな人種グループである黒人であるが、流出のペースが一番速いのは白人で、この10年で実に3分の1が流出している。黒人も24%が流出しており、逃げれる者からデトロイト市を逃げている様子が過去10年でもうかがえる。結果として2000年には95万人居た人口が、2010年には70万そこそこまで減少した。デトロイト市は最盛期には180万人の人口を有していたから、この減った人口の多くが白人だったのだろう。

2000年時点のデータになるが、デトロイト市は81.55%が黒人であり、その世帯収入のメジアンは3万4千ドル。一方、8 Mile Roadを挟んだ北側のオークランドカウンティは、82.75%が白人であり、平均世帯収入のメジアンは7万6千ドルである。道を隔てるだけで収入が倍以上になる。そして、そこから10年、逃げれる者からデトロイト市を出たなら、更にこの格差は拡大している事であろう。ロシアと中国の国境は、アジアがいきなりヨーロッパになり、何もかも変わる国境でなかなか趣があるが、国内の市境でこれ程までに風景が変わる所は、世界広しと言えども、ここ位かもしれない。この収入格差を端的に示した図が下記である。


[出典:city-data.com]

 紫になればなる程世帯収入が低く、黄色になればなる程世帯収入が高い。南側のデトロイト中心部ほど収入が低く、それを収入が高いエリアがドーナツ状に取り囲む。北部の黄色が集中している所がこの辺りで最も裕福なエリアだと思われるが、ここはWest Bloomfield Townshipという自治体で、人口6.5万人、5万人以上の市町村の中で全米6番目に世帯収入が高いそうである。2007年データでは、世帯収入は$113,191にのぼる。Wikipediaに拠れば、ユダヤ人の大コミュニティで知られると同時に、小さな町ながらミシガン州で3番目に日本人の多い自治体だそうである。

破産申請が何が起きるのか

それでデトロイト市の破産で何が起きるのだろうか。法的手続きは、余り馴染みの無い連邦破産法9章を元にしており、調べてみると地方自治体の債務整理手続きを定めた条項とのことである。これによって債務者は、債権者への支払を停止し、訴訟を免れ、契約の解除を判事に求める事が出来て、最終的には債務期限の延長、債務の元本・利息の削減といった債務再編に繋がる様なので、民間企業で行われる連邦破産法11章の地方自治体版だと考えれば良いのだろう。具体的には、デトロイト市は破産申請に先立ち、総額110億ドル余りの債権を持つ債権者に対し、債権放棄と引き換えに20億ドルの新証券を受け入れるよう求めており、この負債の内訳に、約20億ドルの無担保債券や、より多額の公務員の年金・医療費が含まれる様だ。という事は、要はこの手続きが成功すれば、5分の1以下に借金が減るという事である。
 では、借金が減れば救われる市の財政状況なのかと。まず借金は市のバランスシートに1$=100円換算で大体1兆円載っており、他に何らか簿外なのか関連債務なのかが有るのか、総額1.8兆円という報道もある。市の人口が71万人だから、1兆円として一人あたま140万円。1.8兆円なら250万円だ。ちなみに、日本の一人あたり国債は12年度末で778万円である。

うわ・・・デトロイトの借金、少なすぎ・・・?

そして日本、借金に強すぎ・・?何やら不安になったが、取り敢えずデトロイトが四天王最弱な事は良く判った。次に支出の状況を見てみたい。

[出典:http://www.detroitmi.gov/]
 まず、全米有数の市の財政資料が、懐かしいEXCEL2003以前の標準色遣いで、かつインフォグラフィックの匂いが欠片もしない、余り意味の無い立体パイチャートである事に、デトロイト市のIT投資、人件費の苛烈な抑制への想像を禁じ得ないが、そこは武士の情けで置いておこう。支出の中で、債務再編して助かりそうなのは利払と元本返済である。利払費用は支出全体の8.1%で、金額にすると126億円。また費用で無いのでこのパイチャートに載っていないが、元本返済が別途97億円ほどある。債務が2000億円に再編されると、利払費用も何分の1かに激減するだろうから、100億円以上の支出削減になる。加えて、元本返済を当面猶予して貰えば更にプラスだ。デトロイト市の歳入と支出は概ね均衡しているので、歳入さえ維持できれば、一応債務再編によって財政は黒字になる。連邦破産法申請は、暗いニュースに聞こえるが、終わりの始まりでなくて、再生の始まりなのだ。それは民間企業も同じである。終わりの始まりはもっとずっと早く始まっていて、法的整理の申請は再生の始まりを意味するのである。だが、一旦黒字化するにせよ、歳入が維持できればという前提が、この人口流出ペースではかなり怪しい。債務再編による利払費用の削減は、支出全体の7%とかの話であるから、税収入の減少へのバッファーに乏しい。人口流出に応じて、その他のオペレーティングな費用も削らねば、早晩また市の財政は赤字になるだろう。これを避けなければ、根本的な解決、真の再生にはならない。

大阪府警デトロイト市警の4倍

そのオペレーティングな費用の中で、最も大きな支出は、全体の50%以上を占めるPublic Protection、つまり警察と消防である。金額にすると1$=100円換算で675億。日本は警察が県、消防が市の管轄なのと、このPublic Protectionという費目には引退した警察官や消防士の年金も入る様だが、日本の費目にこれらの退職給付費用が全額入っているのかは判然としなかった為、なかなか平仄を合わせた比較ができないが、best guessという事で、デトロイト市とほぼ同じ70万人内外の人口である島根県の警察費用と、岡山市の消防費をピックアップしてみよう。

島根県財政支出

[出典:島根県ウェブサイト]
岡山市財政支出

[出典:岡山市ウェブサイト]

 うむ。何かと田舎だとネタにされる島根県ではあるが、グラフ作図能力はデトロイト市を遙かに凌いでいる。いや、そんな話をしたいのでは無かった。気を取り直すと、上記の通り、島根県の警察費用は約221億円。岡山市の消防費は約76億円なので、合計した人口70万人あたりの警察・消防費用は300億弱である。デトロイトは人口あたり2倍以上の警察・消防費用を使っている事になる。要は治安が悪すぎで、これが市の予算を食っているのだ。だが、絶対額としては費用は多いものの、全米で2番目に治安の悪いデトロイト市において、日本で5番目に治安が良く、刑法犯認知件数÷人口で出した犯罪率が0.72%に過ぎない島根県の2倍程度の予算で良いかと言われれば、おそらくは十分では無いだろう。日本の都道府県で治安が最も悪いのは大阪府であるが、せいぜい犯罪率は2%。その大阪府の警察費は2600億。デトロイト市のpublic protectionの費用全額が警察費だとしても、4倍の予算規模である。確かに、大阪府の人口はデトロイト市の12倍強ではあり、これだけ人口が多いと実は刑法犯認知件数は14.6万件と、デトロイトの8万件強より多かったりするのだが、大阪府の犯罪の8割は窃盗、つまりスリ、置き引き、ひったくり、コソ泥の類なのである。殺人・強盗・放火・暴行等の凶悪・粗暴犯で比較すると、大阪府は概ね7000件に対し、デトロイト市は4万件弱とあっさり逆転して5倍以上、人口対比で見たら恐ろしい差異になる。よって、凶悪犯罪の抑止の観点からすると、デトロイト市警察の予算が大阪府警の4分の1以下というのは、全く釣り合わない。これは、大阪府警が肥大化しておかしいのではなく、デトロイト市警がコストカットで縮小しすぎて、凶悪犯罪に対して手が回っていない、という事なのだろう。これは人ごとでは無くて、もし、将来のある時点で、借金漬けの大阪府が、財政再建団体に陥って、単年度収支均衡を目指さざるを得なくなれば、デトロイトの様に間違い無く警察費もカットされるだろう。その時、犯罪件数はどうなるのか。予測はかなり容易である。
 ややシリアスな方に脱線したが、債務整理に加え、今デトロイト市が取り得る最良の可能性は、引越の補助金やら税制優遇、或いは何らかの強制力を用いて、公共サービスを提供する範囲を狭め、警察・消防費を圧縮していく事だと思われる。2010年時点で、デトロイトの市域139平方マイルのうち40平方マイル以上が空き地(60,000区画)だという話なので、これが歯抜けなのが問題なのだが、可能な限りまとめていければ、減る人口に対応したコストカットが出来るのでは無かろうか。それが出来ないとなると、広い市域により薄い予算を張る事になり、薄い警察力→犯罪の増加→人口の流出→税収減→より薄い警察力、というスパイラルが止まる気がしない。その場合はきっとデトロイトは、犯罪者が死に絶えるまで、何十年か掛けて荒野に戻るのだろう。
 従業員をリストラ出来る企業と違って、国は国民をリストラ出来ない存在だが、デトロイトは市民じゃないにせよ、市が市の領域・土地をリストラしないと保たなそうなのは、一種凄まじい状況である。それでリストラして空いた土地はどうするのか。ひまわりでも植えとけば明るい感じの雰囲気になって良いんじゃないでしょうか。

CORPORATE PREFECTURES OF JAPAN MAP

ちょっと前に話題になってたこれ。


■出典:Steve Lovelace "CORPORATE STATES OF AMERICA MAP"

ふむ。と思って週末しこしこと日本版作ってみた。その県で起業された会社によるコンスーマーブランドの例。その県出身者が起こした企業もどうかと思ったが、静岡(トヨタ・ホンダ・ヤマハ・スズキ・・)と群馬(渋沢栄一の愉快な末裔たち)と近江商人伊勢商人辺りが無双してしまうので、こっちで。

corporate prefecture of Japan map

大変だったのは、1024*768とかキャンバスの大きさを決めると四角いアメリカはほぼ空間を埋め尽くして、効率的にスペースを使えるのに対し、日本は細長くて左上と右下にスペースができ、一県一県が小さくなってしまう事。そんで、少し思ったのはこんな事。

  • 東京から愛知までのソニー・日産・ホンダ・トヨタの四連発は言うに及ばず、ここに入っていない企業も含めて、これまで日本を支えてきた自動車や電機等の輸出企業は東京−大阪間で生まれている
  • 一方で、ユニクロ味千ラーメンみたいなクールジャパン()の模範に無理やりされている様な企業、或いはイオンやヤマダ電機みたいなグローバル展開を始めた小売は、地方起源がマジョリティな位。たぶん、食いもんとか着るもんとか、それ程専門性が高くない小売とかは、地方じゃないとクルマ社会を前提としたフォーマットが確立できない一方、確立できたらアジア中、或いは世界中に成立可能な立地があるという事だろうか。むしろ東京みたいな都会は世界的には極めて特殊なんだろう。東京で通用しようとすると、高い地価をクリアしないといけないので、超高回転か高単価にならざるを得ない
  • 東北と山陰は企業見つけるのに大変苦労した。宮城ですらアイリスオーヤマ無かったら、どうなるだろう。青森りんごとか、二十世紀梨とか、南部鉄器とか、それなりの素材はあるのに、企業というスケーラブルな商売にはなっていない
  • 米国企業はコーポレートカラーがはっきりしてる場合が多いけど、日本企業ははっきりしておらず、白地にロゴが多く、かつロゴは赤が多い。ユニクロは明らかに意識してると思うけど、他の企業も無意識にか社のロゴに日本国旗の構造を背負ってる。結果、すごく各企業同士が判別しにくい
  • 米国の西海岸にあるスタバ、ナイキ、アップルみたいな単純なロゴ一つで企業が表現できる企業は日本には極めて少ない。英語は表音文字で社名が長くなるからこそ、アイコン化を考えたのかもしれない
  • 納豆の起源が水戸でなく秋田な事を知りますた

それで、2つめと3つめの点を敷衍してみたい。ここんとこ、地方は工場の誘致という時代でも無いので、一次産品の輸出に活路を見出している話を聞く。それはそれで素晴らしいけれど、この特産物を一次産品として売るだけでなく、一ひねりして加工度を上げ、外食産業や食品産業に仕上げれば、付加価値が上がって雇用創出力も増えるし、よりスケーラブルになるんじゃないかな。

では、どうやって産業にするかだけど、ゲームの天下統一みたいに、県内の豪族が自然に糾合して県を代表する大勢力になっていくイメージは外食には当てはまらない。はなまるうどんが大きく花開いたのがオリジンの香川で無いように、多分その外食産業を仕上げるのは、ご当地の県じゃなく、違う所なんだと思う。宮崎でチキン南蛮と冷汁のチェーン作ろうとしても、もっと旨い店は山ほどあるし、食べ慣れてるから好みも分散して、大勢力にならなそう。だから、むしろチャンスは宮崎料理がレアな所では無かろうか。そしてそれは特殊な大都市の東京や大阪じゃなくて、まずロードサイド。ロードサイドで戦えるオペレーションが確立できれば、東京大阪以外の日本全国及びアジア都市圏全域が市場になる。だから、自治体は県内外食の他県進出支援をするのが面白いんじゃなかろうか。

外食は飽和と言われつつも、焼き牛丼だけで急速にチェーンが成立する世界だから、依然としてネタは豊富にある筈。5年後に伊那のローメンでロードサイド100店出すチェーンが忽然と出現しても不思議じゃない。ただことローメンに限っては、まず美味しくないという食品としての根本的な欠陥を何とかする必要があるが・・。(焼き牛丼は、肉は煮るより焼く方が旨いという事を再認識させてくれたからね)

最後に、ちょっと脱線するけど、花屋のニコライ・バーグマンが、外国人が日本に長く居過ぎたと思う瞬間として、「白の反対が黒でなく赤だと思った時」というのを挙げていたが、やっぱり日本人は白地に赤が好きなようだ。コーポレートロゴを作る時、差別性を得るなら白地じゃなくて、きっちりとコーポレートカラーを決めて、それを背景にするのが吉だと思われる。

2013年全米オープンゴルフ

勝たなければいけない事情

 全米オープンゴルフ最終日。最終組を回るフィル・ミケルソンがイーグルを決めて程なく、メリオンに雨が降りだした。ようやく、週の半ばに続いた豪雨の影響を脱し、全米オープンらしい、固く締まったグリーンを取り戻しつつあったメリオンゴルフクラブだったが、これでまたソフトになり、初日の様に長いクラブで打ってもボールが止まるかもしれない。よって、最終組を回るミケルソンとハンター・メイハンが有利。僕は天候を見て、そう思った。でも、そうはならなかった。
 ミケルソンは、これまで通算41勝、うちメジャーで4勝を重ね、この時代においてタイガー・ウッズに次ぐ実績を残すプレイヤーであるが、全米オープンではシルバーコレクターとして有名だ。これまで2位になること既に最多の5回。各プレイヤーは勝たなければいけない事情をそれぞれ抱えるが、ミケルソンのそれは格別強い事だろう。ミケルソン全米オープン、或いは全英オープンにも勝てないのは、そのアグレッシブ過ぎるプレースタイルだと言われている。バーディの出るマスターズや全米プロではそのリスクテイクに見合ったリワードがあるが、セッティングが難しい全米オープンや、自然が気まぐれな全英では、リスクを取り過ぎては自滅する。昨年のマスターズ最終日10番で、ブッシュからの無謀なリカバリーに失敗してトリプルを叩き、首位から陥落したのは記憶に新しい。
 この大会でのミケルソンは、サンデーバックナインまでは努めて過大なリスクを取らない様にしている様に見えた。しかし、バーディが狙える115ヤードの13番Par3を迎えた時、テレビで見ていて、ウェッジでのティーショットにしては少しティーアップが高いなと違和感を感じたのを覚えている。トッププレイヤーが考えている事は、アベレージゴルファーには計り知れないが、恐らくは、薄めに入れてスピンでかなり戻して狙う積りだったのだろう。だが、結果は薄く入り過ぎた。ボールは、ハーフトップ気味にキャリーでグリーンオーバーし、このホールはボギーとなった。結果論だが、13番は安全にパーでも18番はバーディを無理攻めしなくて済んだので、プレーオフになっていた可能性は高い。そこを攻めてバーディを取りに行ってのボギー。サンデーバックナインは当然攻める局面だろうが、その攻め方の選択肢の中では、リスクテイカーのミケルソンは、他のプレイヤーより失敗の許容度が低そうな選択をして、そしてやはり報われなかった。
 ミケルソンが首位に立つ前に注目を集めていたのは、初日首位だったルーク・ドナルドだった。開始前のインタビューでも、短くてテクニカルなこのコースは自分に合うとして、相当意気込んでいる様子が伺えた。実際、例年の全米オープンと比べて短く、プレイヤーに長さで対抗しないこのコースは、パットとアイアンの名手であるドナルドにとって大きなチャンスである様に思われた。初日の後、ドナルドはやや順位を下げたが、3日目が終わって2打差の5位とまだ良い位置に付けていた。
 彼は、一昨年度、史上初の米国と欧州のダブル賞金王になり、世界ランク1位の座に就く輝かしい実績を挙げたが、面白い事にメジャーは未勝利である。この、世界ランク1位経験者なのにメジャー未勝利のプレイヤーという汚名は、リー・ウェストウッドとルーク・ドナルドの唯二人に冠せられている。ドナルドにとっての勝たなければいけない事情は、これを晴らす事だった。そして、もしドナルドが勝てば、イングランド出身者としては43年ぶりの全米オープン覇者という意味合いもある。かく英国勢の期待を集めて最終日ラウンドしたドナルドだったが、武運は拙いものだった。ドナルドは、序盤からボギーを連発して早々に優勝戦線から脱落し、逆に余り注目を集めていなかったプレイヤーが、信望強くスコアを守ってスルスルと順位を上げた。それはドナルドと同じ2打差の5位から出たジャスティン・ローズだった。結果として、彼が2打差で勝ち、イングランド出身者として43年ぶりの全米オープン覇者となった。
 毎年、父の日に最終日が来る全米オープンだが、その日に誕生日を迎えたミケルソンが父の日のヒーローになりそうでならず、18番でパーパットを決めた後、亡くなった父に向けて、天に感謝を捧げたローズがヒーローになった。各プレイヤーには、それぞれ勝たなければいけない事情がある。

メリオンゴルフクラブ

 今年の会場となったメリオンというコースは、勿論プレーした事は無いが、テレビで見るだけで実に印象に残るコースだった。昨年のオリンピッククラブも強い高低差のあるホールを幾つか思い出せるが、メリオンは、それぞれのホールを今でも克明に思い出せるメモラビリティがある。Par3は全般にどこのコースでも覚えやすいものだが、テレビで観戦するだけで記憶に残るPar4や5が幾つもあるというのは驚異である。正直、2011年にマキロイが11アンダーで圧勝したコングレッショナルは殆ど覚えていない。日本のコースも、何回となくテレビで見てる筈なのだが、似たような林間の似たような平板なグリーンコンプレックスが多くて、覚えているホールは余り多くない。例えば、宍戸ヒルズはプレーした事まであるのだが、先週の日本ツアー選手権見てても、ほんの数ホール思い出せるかどうか。それに比べると、メリオンはグリーンの傾斜まで結構思い出せる。世界ゴルフ100選の中の更にトップ10に入るには、それ位のメモラビリティが無いとダメなのだなと改めて実感する。
 今回の全米オープンは、近年のPGAツアーでは珍しい7000ヤードを切る設定で行われ、短すぎると批判的に言われていた。僕も、雨でグリーンがソフトになったので、コングレッショナルの時の様なスコアが出るかなと思っていたが、優勝スコアは結局1オーバー。ロングヒッターにはヤーデージの長さだけがコースの対抗方法で無い事を改めて世に知らしめた結果となった。また、バーディが出ないとゲーム性に乏しくて盛りあがらないというのも必ずしも正しくなく、昨年・今年と続けてアンダーパーが出ない展開だったが、どちらも極めて接戦で最終日最終組のプレイヤーがバーディ取ればプレーオフという、スリリングなゲームとなった。アンダーパー決着となった2009年や2011年より、イーブンパーからワンオーバーで決着した2010年、2012年、2013年の方が接戦で面白かった。全米オープンは、優勝スコアがイーブンパーになる様に設定されるそうだが、過去5回中に3回が、イーブンパーからワンオーバーと、ほぼその想定通りに決着しているのは、中の人恐るべしである。ただ、同じく5回中に3回のトロフィーを、UK勢が掻っ攫っていくとは中の人も思っていなかったことだろう。

ドライバーの設計

 この全米オープン、マスターズに続いてミケルソンはドライバーを入れなかった様だ。代わりに入れたのは、通称フランケンウッドと呼ばれるスプーン似のクラブ。最近のスプーンは浅重心・高反発で飛ぶので、てっきりロフトを立てたスプーンだと思ったが、さにあらず。45インチのロフト8.5度と、どちらかと言えば小さなドライバーであった。つまり、形状はスプーンの延長線上だが、スペックは昔のメタル時代のドライバーと似ているのである。
 この小さなドライバーの利点は、重心距離や重心角が他のクラブと統一感が出る事であり、逆に欠点は左右慣性モーメントが低く、フェースの高さも低い事から、ミスヒットに弱くなることである。また、フェースの上下の当て所を変える事によるスピンコントロールも難しい。それでもミケルソンがこんなスペックのクラブを入れてきたという事は、彼にとって、現代のドライバーが相当打ちにくいという事なのだろう。実際、キャロウェイやタイトリスト、ピンなどの米国のクラブメーカーのドライバーは、重心距離と呼ばれるスペックが軒並み長い。プロモデルであれば、スプーンからアイアンまでは、これが概ね32-34mmで揃っている場合が多いが、ドライバーは40mm超えというのが珍しくないのだ。これが長いという事は、シャフトという回転軸から重心が遠くなり、角運動量が小さくなる為、結果として捕まりが悪いクラブとなる。なので、これらのクラブメーカーはドライバーだけ大きな重心角を設定する事で、それを補っている。クラブは、ショットの最中、重心が遠心力によって回転軸から遠い所に離れようとする為、大きな重心角=深い重心のクラブほど、重心が前に出たがり、フェースが返るという算段である。この長重心距離+大重心角というクラブの欠点は、重心が深くならざるを得ない為、スピン量が増える事だ。
 一方メリットは、長い重心距離は長いクラブレングスを意味する為、数ミリではあるが長尺効果がある事と、重心距離が長いほど左右慣性モーメントが高くなり、ミスヒットに強くなる事である。460ccのクラブ全盛になる前は、プロモデルのドライバーはハイバックで洋梨型をして、アベレージモデルはシャローバックで丸形をしていたものだが、460ccが当たり前になって以降、米国メーカーにハイバックのモデルが絶滅したのは、長大な重心距離を補う為には、大きな重心角=深い重心を設定するべくクラブの奥行きを伸ばさざるを得なかった為である。

 一方、日本のクラブメーカーはと言えば、ヤマハのドライバーは伝統的に重心距離が短い事が特長で概ね33-36mmに設定され、それ以外のメーカーでは重心距離は長めであったが、近年ではミズノやブリヂストンのプロモデルも、ヤマハと同様に重心距離を短くしてきている。これ位重心距離が短いと、重心角も20度前後とフェアウェイウッドと同じ位に設定出来る為、結果的に浅い重心が実現できるというわけである。これらのドライバーが、ハイバックな形状なのはその為で、地クラブで飛びに定評のあるJBEAMのFX BM-435も同様のコンセプト・形状である。トップアマで、2007年には並みいる大学勢を押しのけて日本アマ決勝まで進出した"中年の星"こと田村尚之さんが、ヤマハのドライバーからJBEAMに変えたが、重心のスペック的には似たモデル同士であり、フェースの反発等、重心以外の何らかの要素でJBEAMが上回ったからだと想像する。
 では、この米国メーカーや日本メーカーのアベレージモデルに多い「長い重心距離+大重心角」のドライバーと、日本メーカーのプロモデルに多い「短い重心距離」+「小重心角」のドライバーは、どちらが良いのだろうか。ドライバーの評価軸は色々あるだろうが、こと飛距離で言えば後者の方が有利そうである。なぜなら、長い重心距離による数ミリの長尺効果は、どう計算しても2-3ヤードの飛距離アップに止まるからである。浅い重心がもたらすスピン量の低下による飛距離変化は、計算は困難ではあるが、スプーンの浅重心モデルが確かに飛ぶことと、200-300rpmの低下にプロが血眼になっている事を踏まえると、こちらの方が飛距離に効く度合いが大きい可能性が高い。6月11日号のゴルフダイジェスト誌には、スプーンをヘッドスピード42m/sで打った時、深重心モデルより浅重心モデルの方が5ヤード飛んだとの計測結果を出しているが、プロがドライバーで行えば、より差は拡がるだろう。この点で、米国のメーカーより日本のメーカーの方が、ドライバーの飛距離に係る設計は優れていると僕は思う。
 そして、更に掘り下げると、キャロウェイは米国メーカーにしては珍しく、FT-9の時代、つまり2010年位までは重心距離の短いドライバーを出していた。それが、直近の"レーザー"が冠されたモデルから何故かみな長くなってしまったのだが、それに呼応するかの様に、ミケルソンがドライバーを捨てて、スプーンの延長線上のクラブを握った。これを見るに、トッププレイヤーの世界では、スピン量の低下による飛距離アップとは別に、重心距離がスプーン以下と揃ってたクラブの方が感覚的に打ちやすい、或いは球がばらつかないという事が起こりえるのかと想像する(仮に捕まり具合が重心角によって調整されていたとしても)。大きな重心角によって、勝手にクラブが返る事と、短い重心距離によって、クラブを意図的に返しやすい事は、同じ捕まり要素としても、使い勝手が異なるのだろう。そしてそれは、フックグリップで握って、クラブを勝手に返すタイプのプレイヤーには余り感じられず、ミケルソンの様に、アームローテーションを多用するプレイヤーには顕著に感じられる類の話なのかもしれない。
 ちなみに、テイラーメイドの最新モデルであるR1というドライバーは、発売後プロにも大人気で、テイラーメイド契約のジャスティン・ローズがこれを使用しているのは当然として、ミズノの契約プロであるルーク・ドナルドもこのドライバーを使っている程だ。このR1の重心距離は38mmである。33-36mmのヤマハのクラブ程では無いが、40mmを超える事が多い米国のクラブメーカーのモデルにしてはかなり短い方である。このクラブの売りは浅い重心だが、重心距離が短めであるが故に、捕まりを犠牲にしない形で、これを実現できている。R1が人気という事は、浅い重心か、或いは短めの重心距離そのものがトッププレイヤーに合っているのだろう。もしかしたら、隆盛を誇った40mmを超える長い重心距離のドライバーの、一つの限界が見えたのが、この全米オープンであったかもしれない。