デルフト島で。

ボロ船

バスは桟橋に着いた。窓から吹き込む薫風が止まり、すぐに車内は熱帯特有の熱気が優勢となった。のんびりとバスを降りるタミル人達について、バックパックを背負って暗い車内から外に出ると、カッと昼の太陽が照りつけた。そこに海風が僕を包む。陽光と海風、そして背中に食い込む重いバックパック。僕は旅をしている。
 デルフト島までは10kmと少しの航海だが、外洋に出る。那覇から慶良間に行く様な感じだろうか。僕はコーズウェイを進むバスの中で、デルフト島までの船を、日本でもよく見る立派なフェリーか、あるいはホルムズ海峡の密貿易船みたいな高速モーターボートでは無いかと勝手に想像していた。過去幾多の秘境に行ったが、船と言えば立派なフェリーか、高速モーターボートか、あるいは十数人も乗れば一杯の小舟にしか出会わず、さすがに三番目の小舟は無いなと思ったからである。しかし、視界に入ってきたのは、小舟よりはマシだが、到底外洋に出れるとは思えないボロ船であった。僕は少し動揺して、このボロ船で外洋を安全に航海出来るものなのか、高速で頭の中のストレージをイメージ検索した。南米の秘境ガイアナからスリナムに行く川を渡るフェリーでも、比べものにならない位立派だった。アフリカで乗ったザンジバル行きのフェリーは言うに及ばず。唯一引っ掛かったのは、南洋のトラック島で見た、ヤップ島に向かうという船である。あれも、これで外洋に出るのかという漁船に毛が生えた位の大きさで、しかも船室にも甲板にも人と荷物がぎっしりと乗っていた。それで2日とか3日の航海をすると聞いて、幾ら秘境好きでもちょっと嫌だなと思った記憶がある。
 あの記憶と記録双方に残る様なボロ船で、太平洋の孤島であるトラックから同じく孤島のヤップに行けるなら、10kmそこそこの航海は楽勝なのかもしれない。そんな風に前向きに考えると、僕は板一枚のタラップを渡って、船内に頭を突っ込んだ。突っ込んだはいいけど、船室は暗かった。明暗差に目が慣れなくて何も見えない。僕はしばらく頭を突っ込みっぱなしで、瞼をしぱしぱさせながら、目が慣れるを待った。じわじわと船室の中が見えてきた。僕は、タミル人が船室を埋め尽くしてるのを確認すると同時に、そのタミル人全員が珍しい東洋人にじーっと注目していることも確認した。ここに入る隙間は物理的にも精神的にも無さそうだ。珍しい東洋人は、首を振って甲板の客となった。
 船が出た。行きは追い風・追い潮であった。ボロ船とはいえ喫水は高く、甲板でも水をかぶることは少ない。水平線上に平たい島が幾つか見える。地殻の造山活動によって出来るのではなく、古い珊瑚が積み重なって出来る熱帯の石灰質の島は、性質上起伏に乏しくなる。この辺の島はみなその様な成り立ちなのだろう。そして、珊瑚の欠片が積み重なった真っ白なビーチが見える。デルフト島にもそんなビーチがある筈だ。僕は特にビーチを求める旅人では無いが、さすがに熱帯の島に行ってビーチに行かないというのは片手落ちだろう。帰りの船の時間を考えると、そんなに長くは居れないだろうけど、ビーチの木陰で何をしようかなと、甲板で考えながら海風に吹かれていると、妙に楽しくなってきた。何羽かの白い海鳥が船の横をゆっくりと飛んでいった。遠くの島のビーチと海鳥だけが、この青い海と空の中で白さを際立たせていた。
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  • ボロ船は甲板までぎっしりと埋まり、よく見るとバイクまで積まれている。みんな暇そうだ。

接岸

デルフト島の桟橋は簡単なもので、いやそれが余りに簡単すぎて、船が接岸できるスペースが無かった。ボロ船は桟橋に接岸している別の船に接岸し、僕はその"別の船"の甲板の縁を、平均台を渡る時の様に両手を拡げてバランスを取って、歩いて、そして最後ジャンプして、"接岸"した。ここがデルフト島だ。野生馬とバオバブの木とかわいらしいビーチがあるという以外は何も判らないデルフト島である。もちろん港に観光案内所などは無く、ざっくりとした島内全体像の図だけが港の建物に書かれていた。でも、タミル語で書かれたそれは、さらに潮風にやられて全く用を為さない上に、現在地表示が無くて自分がどこにいるのかすら判然としなかった。どうしよう。いや、これまでも大抵どうにかなった。小さな港を出てみると、簡単なレストランみたいなの一軒だけある。そういえばお腹が空いてきたので、ここで少し食べがてら、どうデルフト島を巡るのか、レストランの人に話を聞きながら決めてみようではないか。
 フレンドリーなレストランの人に話し掛けたら、実に話は簡単だった。一人なら、そこにたむろっている男が運転するスクーターの後ろにしがみついて島内を移動する。二人以上なら、同じくそこにたむろっている男が運転するピックアップトラックの荷台にしがみついて島内を移動する。それだけだった。秘境はたいへんシンプルなのだ。そして、ここのレストランのカレーはなかなか美味しい。食べた後、僕はチャイを頼んだ。インド系であるタミル人地域ということもあって、僕は何となくヒンディー語に影響されて、"チャイ"と言ったのだが、これは通じなかった。そうだ。南インドタミル語で紅茶は英語みたいにティーと言うのだった。中国から陸路、あるいは北部中国から直接お茶が伝わった地域は、北インドやアラビア、ロシア、日韓の様に概ね"チャ"の発音を用い、客家やオランダ人など海の商人達がお茶を伝えた地域、例えばマレーや南インドスリランカ、そして西欧は、概ね客家語に準じてティーとかテーとかの発音を用いる。その意味で、インドやスリランカは紅茶大国だけど、北と南でたぶん伝わり方が違うのだ。そして南のくくりの中でも、タミル語でお茶がティーなら、一方のシンハラ人地域のスリランカではテーと言う。フランス語と似た発音だ。僕は、コロンボの場末の屋台で紅茶を飲む度に、おフランスと同じかと苦笑していた。そして、仲の悪いタミル人とシンハラ人は、お茶の発音においても仲の悪い英仏の様に、微妙に別れているのである。
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  • 辺境のレストランだが、割に美味しい。お米がジャポニカ種なのが目を惹いた。

薄白いラグーン

デルフト島の民に案内されたバオバブの木は、マダガスカルの写真で良く見る、幹ばかり太くて枝葉が発達しないバオバブの木と違って、幹は確かに太いが、ふさふさと枝葉を伸ばしたものだった。実に普通の木だ。でも、これが島内の見所と紹介される以上は、デルフト島にも、スリランカ全土においても珍しいものなのだろう。種子が何らかの形でマダガスカルから海を渡ってここに根付いたのだろうか。そういえばオーストラリアでもバオバブは生えているから、インド洋を渡って根付く種があったのだろう。
 バオバブの太い幹は、乾期と雨期がはっきりした気候において、乾期を生き抜くために水を蓄えられる様に進化した形である。従って、低灌木しか生えないような、乾期と雨期がはっきりした気候の中でも、乾燥した部類の地域に特化した種だと思われ、他の木が生えれる程度に湿潤だと、見るからに光合成量が少ないバオバブは、普通の木との競争に負けてしまいそうだ。デルフト島があるスリランカ北西部は、起伏に乏しく、モンスーンが吹く時期に雨が降りにくい気候だ。むしろ風が止む10-12月あたりに、雲が流れにくい為だと思うが雨が多い。この、スリランカの他の地域と比べると、雨の降る時期が限られるデルフト島の気候が、うまくバオバブの生育要件に合致したのだろう。遠いマダガスカルから種子が流れ着いて、偶然この島の気候にフィットして育った。でも、バオバブが属するパンヤ科は雌雄同株・両性花らしいが、受粉を媒介する昆虫や動物はこの地に居なかったのだろう。結果としてこの木は、子孫を残せずに、永劫とも思える時間を、偶然にも孤独にこの地で生きている。
 そんな物語を反芻しながら、しばらくバオバブの木陰で過ごした後、僕は強い陽光の下に這い出た。この尋常ならざる偶然の産物であるバオバブの、実に尋常そのものの形状を最後鑑賞しよう。そう思って遠巻きに眺めてみたら、近くにラグーンが拡がっていることに気が付いた。ここは島の内陸部だが、窪地の地面の高さが海面下になると、海水が石灰質の土地から染み出してくるのかもしれない。寄ってみると、水たまりの様な水深のラグーンである。珊瑚の成れの果ての白い砂地の上に、乾燥に強い芝生の様な草が薄く生え、大地は薄いグリーンだ。そしてその先のラグーンの水底は、もちろん白い砂地。だから、湖面はそれを反射してキラキラと白に近い薄いグリーンに輝いていた。薄白いラグーンだと僕は思った。石灰質の白い砂の堆積具合と、海面との微妙な関係によって、この様に浅く、底面の色を反映するラグーンが出現するのだろう。実にはかない、偶然の産物だ。そんな浅いラグーンには、生き物の姿は見当たらなかった。水に触ってみると、水よりお湯に近い温度である。浅いから太陽光でここまで暖まってしまうのだ。そもそも石灰質の大地には、薄く生えてる草以外の命に乏しい。栄養に乏しく、太陽に照らされれば高温になる石灰質の白い砂は、生き物には余り適しておらず、そこに薄く水が張られても同じだってことなのだろう。でもそのお陰で、この一様に薄白い風景がもたらされているのだ。
 この後、帰りの船を待つまでの間に行った、島一番とされるかわいらしいビーチは、石灰質の白砂のビーチであった。でも、そこより僕は遙かにこのラグーンの風景に惹かれた。白いビーチは割とどこにでもあるが、薄白いラグーンはそれ程どこにでもあるわけでは無いからである。デルフト島は薄白いラグーンを抱えた島だ。そしてそのほとりには、孤独なバオバブの木が偶然にも生きている。
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  • ラグーンと空そして草地が、薄いグリーンからブルーへの無限のバリエーションを提示している。

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  • 見た瞬間に、「これわww」と言ってしまったボロ船。これで外洋に出る。そしてバックパックは片掛けなのだ、タミル人達は。

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  • 甲板の客となる。ぎっしり載っている。いい天気。

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  • 近隣の島が隠し持つ白砂の、そしておそらくは手つかずのビーチ。

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  • この地域でもディンギーと呼ぶのか知らないが、帆掛け船が行き交う。帆があざやかに映える。

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  • 船に接岸して、船経由で陸に向かうという雑なオペレーションを履行する図。こんな所で落ちる訳にはいかない!

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  • これが港を出た所のレストランだ。デルフト・イン・ホテルという名前だが、聞いてみたら実際に泊まれるらしい。この島に泊まった外国人はレアだろうから、看板の電話番号に電話してみるのもいいだろう。

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  • この人が有名なバオバブなんだけど、イマイチ普通の形である。

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  • 木漏れ日はナイスなシャワーの様に割と盛大に降り注いでた。

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  • おや、ラグーンらしきものがある。

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  • 野生馬がラグーンの近くで戯れる。この地に住むデルフトの民が、馬を利用するという方向に行かなかったのはなぜだろうか。

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  • 浅く、そして薄白いラグーンだ。

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  • 何というか、何とも言えない風景だ。薄白いラグーンに薄いグリーンの草地、その向こうには濃いグリーンの木があり、青い空がそれを包む。

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  • ラグーンを見終わった後、オランダ支配時代の砦、通称ダッチフォートを見に行った。ジャフナのダッチフォートは今ひとつだが、デルフト島のダッチフォートはなかなか迷宮っぽくてよろしい。

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  • ダッチフォート近くの古い病院。看護婦さんが暇そうに歩いていた。熱帯の病院に、ガーナはコルレ・ブー教育病院にある、野口英世記念室の風景を思い出した。

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  • 病院の建物はなかなか瀟洒である。

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  • 軽いデコトラ。トラックならぬデコレーショントラクターである。

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  • ビーチでの楽しみ方は白人よりスリランカ人の方が知っている様に見える図。

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  • スリランカ海軍が運営するビーチサイドカフェ。「艦これ」ならぬ「艦カフェ」。

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  • 白い砂地の上で犬がのんびりと休んでた。デルフト島は、大体全般にこういう島だった気がする。

デルフト島へ。

 ベルベル人に会わなければモロッコに行ったとは言えない━━いつかそんな事を言ってた友達がいた。僕はそもそもモロッコに行った事無いけど、地中海沿いに住むアラブ人とアトラス山脈を越えた半砂漠に住むベルベル人━━語源は多分バーバリアンのそれと同じだ━━の2つを包摂してモロッコという国は成り立っている。そして、世界で最もアグレッシブなカーペット売りとして知られるベルベル人は、旅人にとって欠かすべからざるアトラクションなのだろう。
 この年末年始、急遽チケットが空いていたスリランカに行く事になった時、僕はふとこの言葉を思い出していた。"タミル人に会わなければスリランカに行ったとは言えない"。もしかしたら、スリランカもそういう国なのかもしれない。この国は主流派民族のシンハラ人と、少数民族のタミル人からなる。スリランカ北部に住むタミル人は、長らくタミル・イーラム解放の虎というエキゾチックな名前の武装組織を作って独立戦争を繰り広げてきた。民族紛争が激化する一方のアフリカと違って、こちらは2009年にようやく平和が訪れ、2014年初頭に至ってタミル人地域に訪れる事が容易になってきていた。今行くなら、これはタミル人にも会っておくべきなんだろう。友人のかつて発した言葉が僕の中で時をかけて複雑に反響した結果、僕は船に乗っていた。タミル人地域でも、その果ての果てであるデルフト島に向かう船だ。デルフトはオランダ人が付けた名前で、タミル人はそこを "Neduntheevu"、これをカタカナで書くのは極めて難しいが、おそらくネデュンシーブと呼ぶ。

大きな地図で見る
 タミル人地域の首都的なジャフナから、デルフト島への船が出るクリカデュワン(KKD)まではバスで行った。このジャフナからクリカデュワンまでの道は、英語で"causeway"と言い、日本語ではニュアンスまで伝わる適切な訳語が見つからないが、敢えて一言で表すなら土手道としか言えない美しく、長い道が続いている。島と島を繋ぐ浅いラグーンに土を盛って作った道だ。香港の銅鑼湾、いわゆるコーズウェイ・ベイはかつての湾に沿って土を盛った防波堤が作られたのにちなむ。その防波堤の上に走ったのが高士威道(Causeway Road)なのである。そういえば、無意識のうちに僕は幾つものコーズウェイを通ってきた。有名なヴェネツィアのそれも通ったし、沖縄本島から平安座島に向かうコーズウェイも美しかった。波高き日本にコーズウェイは少ないが、探せばまだある。思い出すのは、中海。江島から大根島にかけてのコーズウェイだ。日本海から南下するなら、ダイハツ・タントのCMで、その急勾配が有名になった江島大橋で江島に渡り、その次にある道だ。江島大橋で中空を走り、このコーズウェイで中海の海水面に近い所を走るのは一興である。それこそ、喫水の高いタンカーから、低いカヤックに乗り移る様な感覚だ。海に近い視点は独特の旅情を旅人にもたらす。世界のコーズウェイを意識して写真を撮り溜めるのもいいかもしれないな。僕はそんな事を思いながら、バスからラグーンを見つめていた。
 デルフト島はスリランカの地図を見れば明らかだが、北部の果ての島だ。長らく紛争を抱えていたという点からして、日本で言えば帰ってきた北方領土みたいなものだろう。だから、そこに関する情報は少なくとも日本語では殆ど無く、英語でも乏しかった。なぜそんなデルフト島に行こうと思ったかは直感であった。「地球の歩き方」には北部の都市ジャフナのチャプターで、この都市から美しいデルフト島への拠点になる、との一文だけが載せられ、デルフト島が何でどう行けばいいのかは一切触れられていなかった。ロンリー・プラネットには、バスと船を乗り継げばデルフト島に行け、そこは珊瑚で出来た島で、古いバオバブの木と野生の馬とかわいらしいビーチが迎えてくれる、との簡単な表記があった。ネット情報にそれ以上のものは無かった。でも、なぜか僕はそこに惹かれていた。地球の歩き方が、簡単にしか触れていない最果ての地は、過去結構良かったからかもしれない。オマーンの、砂漠のフィヨルドことムサンダムや、エジプトの白砂漠。ボリビアはウユニ塩湖の更に先の高地にあるラグーナ・ベルデも、ウユニより良い位だった。スリランカへは短い旅程ではあったが、かつて巡った辺境の記憶が僕を最果ての島へ駆り立てていた。
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  • 限られた旅程ゆえ、コロンボから北部のジャフナまでは飛ぶことにした。スリランカは国土が小さい上に内戦が続いたので、国内線が驚くほど発達していないが、コロンボ−ジャフナは毎日フライトがある。スリランカ軍謹営のヘリツアーというエアライン。中国製のプロペラ機が唸る。

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  • Kovilという、王か豪族かが作った、トラヴィダ様式のヒンドゥ寺院である。タミル人のランドマークだ。

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  • キーリマライという聖なる泉で、チョーラ王朝の姫がインド亜大陸から訪れたらしいが、タミル人地域の主要都市ジャフナとその近郊は、恐ろしいほど見るものが無い。有馬温泉の虫地獄レベルが延々と続くがっかり観光地地獄。

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  • 人間は考える葦であり、かつ海で遊ぶ動物である。

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  • ジャフナをクリカデュワンに向けて出発すると、すぐに風景はラグーンの中を進むようになる。

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  • ラグーンに、こんな低灌木が生える草地が混じる。乾期と雨期がはっきりと分かれたサバナ気候であることを示す植生だ。ここは、北のインド亜大陸から吹いてくる乾いたモンスーンの影響下にある。

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  • 陸地と海のギャップが大きいアーキペラゴー(多島海)の風景も美しいが、陸地と海がフラットなラグーンの平たい風景も独特な美しさを持つ。ふと前者に志摩の海を思い出し、後者に茨城の北浦を思い出した。

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  • 草でなく、小さなマングローブの様な塩性湿地に生える海漂灌木に見える。それが、さきほどのフラットなラグーンの風景に対し、もこもこしていて小さなアーキペラゴーに見えてくる。

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  • ついに、Causewayの始まりだ。島と島の間の浅瀬を埋め立てた土手の上をバスが走る。細い1次元の道の他は、2次元360度が海の情景。

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  • 島が終わって海が始まる所に、島んちゅが海に出る道具が無造作に置かれている。

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  • 海の中の道、としか言えない。

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  • それぞれの杭に海鳥が羽を休めて、バスを見つめる。

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  • 海を越えた次の島で女が下りて、森の中に消える石灰質の道を歩き出した。

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  • 島が終わり、また次の島に続く海の中の道にバスは向かう。

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  • 古い、古いバスの機関が唸りを上げた。

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  • 悠久の昔に珊瑚だった石灰質の砂地に、小さなマングローブと草が生え、独特のラグーンの光景を形作る。

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  • 果てしなく続く高士威道(コーズウェイ・ロード)。

iPhone5s カメラの画質チェック

予約して1か月でやっとiPhone5sのゴールド64GBが来て、1週間くらい使ってみたけど、とにかくカメラが進歩し過ぎてて腰抜かしてる。指紋センサーも確かにいいんだけどさ、一見変化がなさそうなカメラにもっとみんな括目すべきだ。僕はぱっと撮ってみて、そのしっとりした諧調に驚き、コンデジに並んだかと思った。正直コンデジでも20倍とか30倍とかの高倍率モデルは画質イマイチだから、もしかしたら上回ってるかもしれない。
ハイファイのアンプが基本重ければ重いほど音が良くなるように、画質は基本大きなイメージセンサーを積めば積むほど良くなるものだ。普及モデルのコンデジのセンサーサイズは概ね1/2.3型だが、iPhone5sのセンサーサイズは1/3型で、コンデジの方が面積約1.5倍と、まだ大きい。だが、iPhone5sは、その分800万画素と画素数が抑えられている。一方のコンデジは、今や1600万画素の攻防だから、一画素辺りのセンサーサイズで比較すると、コンデジiPhone5sの1.5倍のセンサーサイズに2倍の画素数を詰め込んでいるので、実はiPhone5sの方が有利だ。コンデジは画素を詰め込み過ぎて、スマホに比べると大きなセンサーサイズを活かせていないんだよね。また、iPhone5sはレンズがズームの無い単焦点であり、この点も複雑な光学的機構が無い分、画質には有利だ。基本的な条件だけ見ると、かなりiPhone5sに有利そうだ。これは比較してどっちがイイのか、iPhone5と比べてほんとに良くなったか、検証してみようじゃないか。
 画質は主観的なものだけど、その中で比較的客観的な指標をどれか取り上げるなら、解像度とノイズ処理、並びにダイナミックレンジだろう。その3つの中で、解像度とノイズ処理の上手さを、一番わかりやすく比較するには、新聞紙を撮るのがいい。これなら誰だって出来るし、一目見れば違いも分かる。そう、紙の新聞取っていればね。下記の絵、上段の左右がiPhone5SiPhone5だが、ぱっと見て違いが判らないだろうか?

iPhone5s VS XPERIA VS P&S Camera

  • 横に貼った新聞紙が丁度ファインダに収まる位で撮った画像を等倍切り出し。

左上のiPhone5sがその右隣のiPhone5と比べて、段違いに細かい文字が解像しているのが分るだろうか。左下のXPERIA SXよりもかなりいい。そして、右下の1/2.3型の小型センサー搭載の高倍率コンデジ代表のCanon SX280HSと比べても遜色ない。SX280HSの方が線はくっきり出ているが、絵中で一番細かい文字である、右上の「nikkei4946」の文字を見ると、解像感は互角である。線のくっきりさは画像処理のポリシーの違いだろう。Canonは昔から輪郭強調を強めにかけるので、線は太くなる傾向にある。そして、携帯のカメラの画質は、ここ10年くらい改善した改善したと謳いながらも、なかなかコンデジには敵ってなかったが、ついにマニアックな画質追求モデルじゃなく、iPhoneみたいな量販モデルでもコンデジの域に達したようだ。

iPhone5s VS DSLR camera


では、一眼レフや大型センサー機と比べてどうだろうかと思って、フルサイズのD800、APS-CのD7000、大型の1インチセンサー積んだRX100、1/2.3型の小型センサーながら低倍率で画質は良いとされたP300も同じシチュエーションで撮ってみた。これは綺麗にセンサーサイズの順に並んでいて、3600万画素のドット バイ ドットという不利な条件でもD800が一番解像している。以下D7000→RX100→P300である。D7000とRX100は、右上の購買の「購」の字の潰れ具合からして大きな差は無い。僕は余り広角撮らないので、D7000に付ける換算24-28m辺りの純正レンズはこの10-24mmなんていう、画質テストには一般的では無いレンズだったので、レンズの差かもしれない。プライムズーム付けたら少し結果は変わるかな。P300はちょっと厳しい画質だ。2-3年前の機種とはいえ、カスタム露出可能な高級機である。それが比較すると、iPhone5sよりも解像感が低いのだ。P300はスローモーション動画が撮れるので、普段撮りをしつつ、ゴルフの練習にも使っていた。その前に同じ用途で使ってたのが、カシオのEX-FC100なのだが、こいつは余りに静止画の画質が悪くて我慢がならずにP300に買い換えたのだった。そう考えると、EX-FC100辺りは画質面でiPhone5XPERIA SXの時点で既に追いつかれていたかもしれない。

resolution! ノートに書き留めた言葉。

これは解像度とノイズ処理だけのテストだが、iPhone5はまだ「ケータイカメラ」の領域だったのに対し、5Sは明らかに「カメラ」の領域に入っている。この解像感があれば、風景を撮れば細かい木々の葉っぱがざわつく感じがそこそこ出るだろうし、ポートレートを撮れば髪やニットの縫い目が潰れきらず、立体感やぬくもりを描写できるだろう。iPhone5では、例えばゴルフ場の風景を撮ると、細かい芝が解像しないので、すごく平板なプラスチックの板みたいな緑の風景になりがちだったが、5Sなら相当立体感のある生き物らしい感じが撮れるんじゃなかろうか。楽しみだ。しかし本来、画質には有利な単焦点なんだからこれ位やって貰わないと困るのだ。よく考えれば、いま人類は何十年かぶりに、写真を撮るという行為をズームレンズじゃなくて、スマホの形で単焦点レンズに回帰して行っている。それが画質という形でメリットになる最初のカメラが5Sである気がする。
そして追いつかれた方のコンデジの立場はきつい。解像度と並んで画質を構成する重要な要素であるダイナミックレンジは今回テストしていないが、iPhone5sには優秀なHDRがあるので、もうここも余り問題にならないかもしれない。そうなるとコンデジのアドバンテージはズームと、AFの速さ、接写マクロ、大型センサー機では画質、あと機能作りこめば防水やカスタム露出。1/2.3型の小型センサー機は、ズームとAFと接写と防水位しかアピールポイントが無いので、機能分化が進みマスからニッチ商品と化していく流れは止まらないだろう。一方の1/1.7型位のセンサーを積んだ機種は、もともと拘り派向けのニッチ商品だから、1/2.3型機程の影響は無いだろうし、iPhone5sと比べて2.5倍位のセンサーサイズなので、さすがに画質面では優位は失われないだろう。が、それを逐一新聞紙撮って理解する消費者は少数派だろうから、レトロな一眼レフ風の外見によって、画質を消費者の理解しやすい形でマーケティングする機種で埋め尽くされるんじゃないかな。この、カメラを画質面で消費者にアピールしたい時のアイコンが、依然として何十年も前からある一眼レフだったりするのが、機能面では整理できない一眼レフの強さだと僕は思う。なんで、あんな重いものを使うのか。みながいいと思っているから、みたいな。

5Sの作例、的な。

ice
Okura meat
first oyster

  • ドット バイ ドットだと裏面照射センサーっぽい感じは否めないのだが、それでも解像しているから、この大きさで牡蠣の殻のゴツゴツした感じがよく出ている。

River to the West

ネット巨人二社の壮絶な相討ちと独禁法なる茶々

YAHOO!が「買い物革命、始動!」らしく、YAHOO!ショッピングを出店無料、売上ロイヤリティ無しとし、ヤフオクの出品料も0円とする事を発表した。業界トップの楽天を狙い撃ちにしてるのは明らかな施策である。ちなみに、楽天の出店料は月額5万円、売上ロイヤリティは2-4%であり、その他クレジットカードの決済手数料やアフィリエイトの利用料などを考慮すると、年商によってバラつきはあるが概ね8-10%を取られる様で、これを一般には「楽天税」と呼ぶ。それが、YAHOO!においては、クレジットカードの決済手数料とアフィリエイトとTポイントの利用料各1%は必須なので、5%強になるというのが今回の趣旨である。
これを受けて楽天の株価は当日▲11.7%の暴落、YAHOO!も減収懸念で▲6.5%下落した。株価的には完全に誰得状態の見事な相討ちである。それも、兵法の達人同士、技を出し切った美しい相討ちというより、これからお互い必死でうんこ投げ合いするんだろな的な勝者なき泥仕合を思わせる。関係者各位におかれましては、今のうちに秋の食材でお腹一杯にして頂いて、ぜひ泥仕合の原料を豊富に用意して頂きたい所である。ちなみにこの泥仕合YAHOO!も勝算無ければやらないと思うが、それは恐らくこっちは無料にして、別段の広告ならびに決済と物流の中抜きで稼ぐモデルという事なのだろう。そうなると、独占禁止法のいわゆる一般指定の6項、不当廉売に該当するかどうかが気になる所である。
公正取引委員会ウェブサイトの不当廉売のページを見ると、構成要件としては、

  1. 供給に要する費用を著しく下回る対価で継続的に安売りしているか
  2. 他の事業者の事業活動を困難にさせるおそれがあるか
  3. 正当な理由があるか

の三つの面からとらえることができる。個別にみれば、1.は恐らく該当する事になるであろう。決済手数料と広告費用、ポイント費用だけで、自社の利用料は無料とする事は、システム構築やらオペレーションなど、供給に要する費用を付加しないという事だからである。2.は楽天は結構儲かっているので、事業活動を困難にさせる所まではなかなか行かないだろうが、当該公正取引委員会のウェブサイトでは、

例えば,有力な事業者が,他の事業者を排除する意図の下に,可変的性質を持つ費用を下回る価格で廉売を行い,その結果,急激に販売数量が増加し,当該市場において販売数量で首位に至るような場合には,個々の事業者の事業活動が現に困難になっているとまでは認められなくとも,「事業活動を困難にさせるおそれがある」に該当する。

とあり、急激にYAHOO!ショッピングが販売数量伸ばしてトップに立つ様だったら、ここに該当しうるという事になる。3.の正当な理由とは、言い訳すればOKとかそういう話でなく、賞味期限ギリギリの叩き売りとか、余った在庫の処分売りとかの限定的状況のみが該当する様なので、今回は正当な理由は無い。よって、この施策が結構上手く行ってしまうと、スロットが3つ揃って、じゃじゃーん、当たりー!となる「可能性はある」。
そんな訳で、ビジネスパースンにおける正しい本件の愉しみ方は、この独禁法絡みに関して、志田先生や狛先生あたりの独禁法村の有名どころの弁護士チームをどちらがどう確保するかを眺めつつ、実際ほんとに訴訟になったら、楽天サイドに全力で頑張って頂いて、「当該サービス以外での広告や決済などの収益を前提とした無料サービスは不当廉売に該当」みたいな、超長射程のトンデモ判決を引き出して頂き、ウェブサービス各社全体に波及して大激震、この豊葦原の瑞穂の国からアドウェア消滅の危機が訪れる、的な超展開を期待して野次馬する事なんじゃ無いでしょうか。法律と裁判の真の面白さと恐ろしさは、うっかりすると世界が決まってしまうのに、それを裁く人が必ずしもその問題についてプロでは無い事なのである。裁判官がネット通販に詳しい筈が無い事は容易に想像できようし、業界の内情とか慣習とか常識で無く、法律論ですっぱり切るから仕事になってるのである。
また、訴訟にならず、両社ビジネスであくまで勝負をしていく場合は、新陰流兵法における真剣の奥義の様に、敢えて踏み込んで相討ちに持っていく事で、踏み込みの差で相手の斬撃をずらすが如き真の達人の技が、積み上がったうんこの山から見出されるか、そちらに注目したい所である。それは結局は、ネットショッピングが決済や物流にバリューチェインを伸ばし、バーチャルとリアルの区分けがこれまで以上に薄まって、本件で一番困ったのは実はヤマトだった、みたいな話になるんでしょうね。

ターンベリー アイルサコース

伝説のターンベリー

二日目はターンベリーホテルGCのアイルサコースである(エイルサ、とも)。今回一番楽しみにしていたリンクスコースだ。米ゴルフマガジン誌のランキングでは世界18位であり、2012年のスコットランド・リンクスランキングで1位。今年は少し落として4位。また、辛口で知られ、セントアンドリュース・オールドコースにさえ最高点を付けないプジョー・ゴルフガイドが、全ヨーロッパで最高点を付けた18のゴルフコースの1つである。
このコースが、僕の記憶によく残っているのは、ここがホストした2009年の全英オープンを、TVにかじりついて観ていたからである。当時確か59才、引退間近のトム・ワトソンが、最終日17番ホールまで1打リードのトップを守り、全世界のゴルファーを熱狂させたが、最後18番でセカンドをオーバーしてのボギー。そして老兵にプレーオフを勝ち抜く力は残っておらず、142年ぶりの最年長優勝記録更新はならなかったのだ。 ”Old fogey almost did it.” (老いぼれは殆どやり遂げたよ。) という敗者の弁が残っている。ワトソンと年は大分違うが、スタンフォード大の同窓であるタイガー・ウッズですら予選落ちする荒天の中、セカンドをハイブリッドの低い弾道でグリーン手前から転がし、そこからパーを拾っていくワトソンのゴルフは印象に残ったし、18番でセカンドをグリーンオーバーした時は本当に目を覆った。あの18番でプレーしてみたいな、というのが僕のエキサイトメントだったのである。
ワトソンはこのコースと縁があって、僕の生まれた頃に、ジャック・ニクラウスとの「真昼の決闘」をここで制して全英オープン優勝。2003年には全英シニアの記念すべきメジャー昇格第一回大会を同じくここで制している。クラブハウスにもワトソンの伝説的なプレーの写真が並んでおり、クラブ側のワトソンへの愛情が感じられた。その他、ここで行われたもう2回の全英オープンの写真も勿論あって、中嶋常幸が優勝争いに絡んだ1986年を制したグレッグ・ノーマンや、トム・ワトソンが土曜日までは首位だった1994年を制したニック・プライスの姿も誇らしげに掲げられていた。一方で面白かったのが、タイガー・ウッズの扱いである。ウッズの全英オープン参戦は、アマチュア時代の1995年からになるので、1994年のターンベリーには参加しておらず、前回2009年だけがターンベリーでの全英オープン経験になり、この時タイガーは、全英オープンへの参戦史上唯一の予選落ちを喫している。なので、ターンベリー的には、自分のコースで余り活躍していないウッズを取り上げる必要は本来無い筈なのだが、実はそれなりに目立つ所に写真が掲げてある。そしてその写真なるものは、予選落ちになる様な不甲斐ないプレーに怒って、クラブを投げ捨てる見苦しいシーンなのであった。すぐ下には、あたかも対比させる様に、同じ2009年の2日目、65というビッグスコアを出して首位ターンをしたトム・ワトソンが、同伴競技者に祝福される姿が掲げられていた。名門コースとはげに恐ろしい所である。
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  • 上:ふて腐れるタイガー。下:祝福されるワトソン。

キャディ

僕に付いたキャディは、ダレン・クラークみたいな初老の男だった。スコットランドでは、キャディは共用でなく、プロの試合と同じで、キャディバッグを担いで貰って、一人に一人付く。というか、僕はアメリカではセルフしかプレーした事無いのでアメリカの事情が分からないけど、共用キャディの経験は日本だけで、日本以外の国でキャディを付けたら今の所一人に一人パターンにしか出会ってない。会話を始めると、強いスコティッシュ訛りに苦労したが、彼は良くタイでゴルフすると言っていた。僕もタイなら10コースくらいプレーした事がある。これは共通認識の下に会話が出来ると思って、スコットランドとタイの差を聞いてみた。老キャディ曰く、全く違うゲームであると。タイでのゴルフは、アメリカと同じ様にスピンのゲームであり、日本で言うダウンブローに打ち込んでスピンを掛けるのが有利である。一方のリンクスでは、スピンとグラウンドでの転がしに大きな差は無い上、フェアウェイが硬い為、ダウンブローではエフェクティブロフトが安定せず、また高く上がりすぎる為、むしろレベルに打つ事が求められる。そんな事を言っていた。なるほど。たまに宗教の様にダウンブローを崇める人に出会うが、これは万能でなく、リンクスではレベルに打つのが良いらしい。もしかすると、日本のプロプレイヤーの中では、比較的レベルに打つ事で知られる久保谷健一が、ここターンベリーの全英オープンで初日2位、最終27位と健闘したのはその為であろうか。
また、僕のウェッジはロフトが58度にバウンスが12度という、いわゆるハイバウンスモデルで、この出っ張ったバウンスが前日から固い地面に跳ね返されて、全く距離感が安定してなかった。これもおそらくは地面の硬さとフェアウェイの刈り高の低さ故であろう。結果として乾いたフェアウェイは、冬場の日本の硬いグリーンに産毛が生えた程度の状態であり、ボールの下は即固い地面である。なので、ボールが浮く高麗芝の様に、軽くダフる位が丁度良いという事は全く無く、少しでも手前に入ったウェッジは、容赦なく地面に跳ね返されて、トップボールとなった。
とは言っても、急にレベルブローに調整できる訳でも無く、前日から跳ねまくっているハイバウンスのウェッジを買い換えられもせず、有りもので何とかする他は無い。天候は、この日も初日に続いて、風速20〜25mの猛烈な風が吹き荒れていた。そして、晴れ渡ったと思ったら、すぐに叩き付ける様な雨になるという、事前にイメージしていたスコットランドらしい変化に富んでいた。今日も大変な一日になりそうである。これに対して、僕に付いた老キャディは、前半は風上に向かうので、ボールは低く抑えて、三打目勝負をイメージし、後半は風を背負うので、ドライビングのゲームだと最初に全体像を語ってくれた。初めてのコースは、どうしてもホール バイ ホールの点の攻め方に没入してしまうから、この様に18ホール全体の構想を語ってくれたのは非常に有り難かった。こういった点も含めて、これはというリンクスコースでは、キャディを付けた方が存分に楽しめる。前日のノースベリックでもキャディを付けて、それはルーニーの様なデカくて若いあんちゃんだったが、フェスキューのきついラフからのアプローチの時、最初の2-3回は黙って見ていたが、やおら9番アイアンかPW位でコックを入れずに手首を使わずにレベルに打てと言った。ラフは芝が刈れるロフトが寝たクラブで、コックを入れて上からなるべく芝に接触せずに入れるのがセオリーだと思っていたが、これがリンクスのラフでは違うらしい。そして、キャディ推奨の打ち方を試してみると、果たして簡単に出せて、かつ寄ったのである。ターンベリーでも、何番だったか、グリーン周りの深いラフに入れてしまった。そこで、この前日に教わったやり方で寄せようと、老キャディにSWでなく9番アイアンを要求してみた。そしたら彼は、”Gentleman, wise choice”と言ってにっこりと笑った。
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  • キャディが担いでくれるスタイルは、ツアーで見るそれである。

アイルサコース

ターンベリー・アイルサコースは冒頭にも書いたが、世界の中でも評価がきわめて高いコースだ。でも、プレー序盤はなぜここまで評価が高いのか、余り分からなかった。ティーインググランドに立った時、あるいはアプローチをする時、前日プレーしたノースベリックほど明瞭には、幾つかの選択肢がイメージ出来なかったからである。また、メモラビリティという点でも、ノースベリックの方が印象に残り、かつ昔から有る石垣と、あと中世英語が残っているんだと思うんだけど、"burn"と呼ばれる小川がコースに複雑性を与えている気がした。それが、プレーが進んで、6番のPar3から7番のPar5を迎えた辺りでターンベリーの凄さを深く実感する事になった。特に感じたのはルーティングの妙である。ノースベリックと違って、ターンベリーは地形的に平坦でなく、所々かなりアップダウン、あるいは大きな傾斜がある。それを絶妙な形でコースに取り込んでいるのだ。
6番Par3、"Tappie Toorie"は、ティーインググラウンドとグリーンの間が谷になっている、日本でもよくあるレイアウトだが、グリーン周りが結構絞られている。グリーンを右にショートすると、高さ3mはありそうな巨大なポットバンカーが待っているが、左が海なので、おそらく風は今日と同じく左から右に吹きがちな筈で、右のハザードは大きなプレッシャーである。但し、傾斜はきつい受けグリーン、かつ左右は右が高いので、低いボールでグリーンに突き刺せば、風で右に流されたとしても、傾斜が止めてくれるのでグリーンには残りそうだ。グリーンにさえ着弾すれば傾斜が止めてくれる、見た目と反した易しさを信じ、勇気をもって左に低く打ち出す事を要求するホールなのである。逆に、風が陸から吹いていれば、グリーンの横方向は下りとなって、転がりを助長する傾斜になるが、左の深いバンカーのハザード度合いは弱まる事になってバランスが取れる。こういう、選択肢の幅が狭く、一つの正解を要求してくるホールは、リンクスでは初めてだった。でも、それがPar3という、グリーンを狙うショットでライをコントロールできるホールに配置された事、及びここが一番難しいPar3という事で、全体の中のバランスが成立している。海風に流される方向に受けてるこの地形を見つけて、ここを一番難しいPar3のグリーンにしたのが設計の妙なのである。このホール、僕のティーショットは、そのプレッシャーに負けて左に引っ掛け、設計者の思惑を超えたミスとなって深いラフに沈んだ。深いラフからやっと出したと思えば、谷底からの40ヤードの超打ち上げのアプローチ。それを何とか、それを見事ワンピンに付けて、このホールでパスさせてくれる為にグリーン周りで見守るアメリカ人のグループに拍手を浴びたのは僥倖であった。青息吐息でダブルボギー。
7番Par5、"Roon The Ben"は、左ドッグレッグ。高さのハザードが無いドッグレッグは、ショートカットが容易である為、飛距離に応じたアドバンテージが拡大されがちだが、ここは天然の砂丘が左から右傾斜を造っている。ショートカットしたボールにランが出て、右ラフに行きやすい作りなのだ。そしてグリーン周りも右サイドが厳しい。なので、左から吹きがちな海風に負けない強いフックボールを打って、左からの傾斜に当てるという難しい技巧に成功して初めてショートカットがフェアウェイに置け、そしてそれにはかなりのリスクを伴う。このバランス感は極めて良いと僕は思ったし、ここも海風の方向と天然の傾斜が意味合いを持って配置されている。グリーンに立って初めてそのホールの意図を感じた事も多かったが、ターンベリーでのプレーが進むにつれ、自然の地形を活かすとはこういう事かと、あらゆるランキングで上位に来る理由を実感していった。ここと比べてしまうと、重機の造成に頼った上で、更に平板なコースになりがちな日本のコースとは、確かに差があることを認めざるを得なかった。
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  • 6番。左ラフに打ち込んでとぼとぼと谷底を歩く。右の深いバンカーだけには入れたくない。

18番Par4 "Duel in the sun"

2009年の全英の最終ホールで、トム・ワトソンは、グリーンオーバーした2打目を、残り追い風で180ヤードを8番アイアンで打った。プレー後にワトソンは、後悔してるとすれば番手選択であり、アドレナリンが出てる中、8番では大きすぎて、9番で打つべきだったと言っていた。チャンピオンシップティとアマチュアがプレーするティは違うとはいえ、僕はセカンド何番で打てるのであろうか。もしうまく回れてパー以上であったら、「18番だけはトム・ワトソンを上回った」、結果セカンドがピンをオーバーしたら、「n番では大きすぎた。n+1番で打つべきだった」、等と帰国したら周りに触れて回ろう。そんな事を思いながら、風速20〜30mの強烈な追い風の中に放ったドライバーショットは、珍しくいい当たりで、風に運ばれて遠くまで転がっていった。
終わりよければ全て良し。意気揚々とセカンド地点に歩いていったのだが、妙にグリーンは近い。何と残りは90ヤード。追い風、かつリンクスではウェッジのフルショットでも1ピンから10ヤード位は転がるので、普段は70ヤード位を打つ58度で十分である。180ヤードを残したワトソンより随分有利な位置だ。パーを確信して打ったそのセカンドは、スリークォーターの積もりだったが、風に乗ったのかアドレナリンが出過ぎたのか、ピンをオーバーし、10m位のパットを残して止まった。オーバーしてから気付いたが、58度はn+1番のクラブがもう無い、一番ロフトが寝たクラブでは無いか。これでは帰国しても何も言えない。そんなどうでも良い雑念に囚われて打ったファーストパットは、オーバーの結果向かい風となった強風に押されて大ショート。その後簡単に3パットした僕は、あえなくボギーとなり、何とも中途半端な結果に終わったのであった。

「58度では大きかった。パターで打つべきだった。」
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  • 18番。セカンド打った後だと思う。ターンベリーホテルに向かって打つショットだ。これをワトソンはオーバーさせたのだ。

A scene at Turnberry

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  • クラブハウスの中。品がある。お金があったバブル時代に、なぜこれ位の品格を実現出来ずに、風呂場でマーライオンがお湯吐いてる方向に日本のゴルフ場は進化したのだろうか。

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  • スターターの小屋。今日も風が強く、旗がバタバタ鳴っている。

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  • ターンベリーの象徴の白亜の灯台が見えてくる。大地は見渡す限りのリンクスランド。

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  • 5番Par4。右の剛ラフに打ち込んだので、花道が空いている図。これ、ティーショットが左に広がるフェアウェイにきっちり行ってたら、花道が無くなって左右のバンカーに転がりやすい設計になっている。2オン狙うのか、刻むのかは相当考えさせられたと思う。この自由度と等価性が戦略性の与件である。

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  • ハーフ終わった辺りで、小屋があって休憩できる。ホットチョコレートを頼んだ。お姉さんに、海のそばだけどビーチあるの、と聞いたら、ある訳ないだろと大笑いされた。

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  • 小屋に入った辺りから土砂降りになったが、それは幸い数分で上がり、出たらそこには虹が。

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  • ♪わたしの心が空ならば 必ず真っ白な鳥が舞う。

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  • 8番終わった後かな。現実離れした美しい風景の中、現実に直面しながらゴルフをする。

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  • プレー後のディナーメニュー。スコットランドは、前菜+メイン+デザートからなる3皿コースのレストランが多かった。

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  • 設計図。風の向きが、前後のホールで違う事が多いが、4〜7番は同じ向きが続き、何とも傾向が言い難い事が分かる。

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  • さらばターンベリー。もう少し上手くなって、また来る日もあるだろう。

イマジネーション VS 再現性

初日のリンクスは、エディンバラ近郊のグレンGCとその東隣のノースベリックの2ラウンドから始まった。ノースベリックの小さな町の東コースと西コース、という趣だが、グレンは1ラウンド61ポンドの安めのリンクス、ノースベリックは95ポンドとまずまずのお値段で、最も模倣されたPar3を持つ、世界に名前を轟かす有名コースである。ゴルフマガジン誌の世界ゴルフ場ランキングでは68位。ノースベリックからのプレー予定は、ターンベリーにセントアンドリュース、カーヌスティと有名コース4連発となっており、初っ端はスコットランドの庶民の雰囲気を感じるのもいいなと思って、グレンGCをプレーする事にした。
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  • Glen GC #1 “The Haugh”. 打ち上げた先がグリーン。左の海側が18番。まさにOutで出ていて、Inで帰ってくる、用語の原点が分かるレイアウト。

 風の強い日だった。風速は予報に拠れば20m。台風並みである。グレンの質素だけど充実したプロショップを出て直ぐの1番ホールは、平たいリンクスのイメージに反して、丘を登る超アップヒルである。僕は風を見て、風上にあたる左側の18番ホールを向いてティーショットを打ち、出玉は多分ストレートだったと思うのだが、風にあっさり負けて、ブーメランスライスの様に、18番とは逆サイドのセミラフに落ちた。大変な一日になりそうだ。しかし、実際に大変だったのはティーショットよりセカンドショットやアプローチであった。
 最初から、リンクスのグリーンが硬いことは聞いていた為、僕はランの比率を長めに考えて打っていたのだが、それでは余り寄らなかった。高い球が風でもってかれた事もあるが、グリーン面とグリーン周りのアンジュレーション(うねり)が強く、落ち際に前進するベクトルに乏しい高い球は、不規則に跳ねがちな事が大きかった。しばらくプレーしてから、僕はグリーンへのアプローチに関する自分の考え方を捨てる事にした。日本における僕のゴルフのテーマは再現性だった。20ヤードから60ヤード位を、ピッチショットでキャリー5から10ヤード刻みで打ち分けられるか。打ち分けられたら、概ね1ピン位ランを見たら、それで良かった。セカンドショットも大体同じ。真っ直ぐ打って、フルショットだから余りランを見ずにキャリーで5ヤード刻みをどう再現性高く打ち分けるか。それを練習場で機械の様に、そう機械になるべく練習し、本番でも成るべく心を波立たせず、機械である事を実践していた。しかし、リンクスコースは、プレイヤーに再現性より、まずイマジネーションを要求してきている気がしてならなかった。手始めには傾斜を利用して大きく曲げるランニングアプローチを試みた。リンクスのグリーンはパンチドボウルと呼ばれるすり鉢状に凹んだグリーンが多々あるから、このすり鉢の縁部分を回すランニングアプローチの機会は多いし、そもそもランニングアプローチは前進するベクトルが強く、減衰が緩やかである為、不規則な跳ねの影響をその前進ベクトルで抑制できるからである。
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  • North Berwick GC #16 “Gate”. これはかなり極端な例だが、リンクスのグリーンのアンジュレーションは非常に強い。自然の造形が、何歩だからこれ位打つという以前のイマジネーションを要求してくる。

 また、ノースベリックの18番の様に、土まんじゅう型で落としどころに乏しいグリーンに出会ったら、パーオンを狙わずに敢えて手前に置いてみたり、深すぎるポットバンカーに向かって強い傾斜がある所では、徹底的にその傾斜を避け、転がってセミラフまで行ってもバンカーより随分マシと、セミラフ方向をライン出しで狙ってみたりもした。風下にハザードのリスクが小さければ、風に乗せてみることもあれば、そうでない時は風の下をくぐるショットを、フックバイアスなら短く持ち、スライスバイアスならヒールめに当てて行った。考えれば考えるほど、色んなアイディアが湧いた。特にアプローチは複数の選択肢がイメージ出来る事が多かった。5鉄で手前から転がすも良し、8鉄で一番手前のコブは越した後に転がすのも良し、PWで腰の高さ位までは浮かして、グリーン手前のコブにワンキックさせるのも良し。そんな風にコースが語りかけてくる感じがして、これは今迄に余り無いゴルフの経験だった。一打一打が再現性に乏しいスペシャルシチュエーションであり、とにかく印象に残った。そして、その様にコースの声に耳を傾けた方がボールは寄った。
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  • Glen GC. 奥の深いラフでもボールさえ見つかれば、密度は大した事無いので打てるのだが、ボールが見つからない。セミラフが広い所はセミラフに置けば、むしろ硬いフェアウェイよりウェッジは打ちやすい。

 コースの声があれば、クラブの声もあった。持って行ったタイトリストの913Hというハイブリッドクラブの操作性を初めて実感した。日本では、前に持ってた909Hと比べれば真っ直ぐ飛び、初代ロケットボールズと比べればスピンのかかるクラブだなという印象に過ぎなかったが、短く持って、右足の前にボールを置き、アウトサイドから左肘を抜くように打ったら、思い通り、170ヤード位を低いスライスで転がるボールが打てた。そんなボールを打ってみようと思ったのも初めてだったし、何となくイメージが湧いて打ったら、その通り打てたのも驚いた。その後も、長い距離をボールの高低、左右の曲がりをいじって打つ時には、すごくイメージが湧くクラブだった。イマジネーションはクラブで変わるし、恐らくその様にクラブは造られているのだ。
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  • GLEN GC #9 “Quarrel Sands”. 海から風速20mと立っててもぐらつく強烈なヘッドウィンド。グリーンまで距離は約200ヤードだから、ドライバーやスプーンで低めに普通に打つのもいいけど、沖の"The Bass Rock"に向かって、自分の背丈よりも上がらない、ややスライス回転のゴロを打つイメージも湧かないだろうか?

 また、風はとにかく強く、そして雨は降ったり止んだりして、止んで晴れ間がのぞくと、途端に暑くなるし、雨が降ると5枚着て何とか耐えれる寒さになる。この自然条件の変化は英国特有のものだと思うし、フェアウェイもグリーン周りもグリーン上も不規則な起伏に富むのも、また同様の変化をゴルフにもたらす。とにかく、リンクスのゴルフは再現性が低い。日本では、にわか雨が降ったらブーたれて、アンラッキーなバウンドをしたらブーたれていたが、リンクスでは余りにその不規則な変化が多い為、ブーたれる気にはなれなかった。気象や土地という自然の変化との闘いの要素が色濃くゴルフに組み込まれている事を体で理解出来たからだ。登山をして、気象の変化や山道の不規則な起伏に文句を言う人は居ない。むしろ、それは登山の楽しみやエキサイトメント、あるいは難しさとそれに伴うゲーム性と分かち難い一要素である。リンクスでのゴルフは、日本のそれと比べると、ずっと登山の様なネイチャースポーツに近い要素を内包していた。刻一刻と状況の変わるゴルフってのは、元々相当にアンフェアなスポーツなのだ。
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  • North Berwick GC #15 “Redan”. ピンフラッグを見て通りの猛烈な風である。僕のティーショットは安全策を取りすぎて石垣の手前にぽつんと。グリーンオーバーだが意外に良い所。でも、ここから2打で上がれず、ボギー。

 これと比べると、日本のゴルフは兎角攻め手が限られる。グリーンやグリーン周りは平板で、また砲台が多い為、アプローチならスピンの効いた球や転がらない高い玉が圧倒的に有利だ。名門と呼ばれるコースに多い高い木立は風を遮り、そしてコースも遮る為、ある一つの球筋がかなり有利になる場合が多い。リンクスは逆とまでは言わないが、攻め手は常に複数あって、その選択の良し悪しも結構風やらアンジュレーションやらの偶然性に左右される。安っぽい文化論にはなるが、ある一つの道みたいなものに向かって刻苦勉励するのを好む日本のスタイルが、日本の正解があって再現性を要求するゴルフコースに反映している気がしてならない。一方で、複数の選択肢の中から、自分の意思で戦略を選んで複雑性に挑むのは、確かにアングロ・サクソンが好きそうなスタイルではある。もちろん、その選択には技術の裏打ちは必要なんだけど、実際プレーしてみると、いつもやってて技術の裏打ちをある程度持つやり方より、コース上でのイマジネーションによって打つ方が寄ったりするのがリンクスであって、英国人のジャスティン・ローズが全米オープンの18番のクラッチアプローチを、ハイブリッドで打って寄せてパーセーブして勝利を引き寄せたシーンを思い出す訳である(バンカーからパターで寄せて日本プロを制した日本人も居ましたがね)。
 そんな訳で、リンクスでのゴルフツアーは、初っぱなから相当考えさせられる所から始まった。
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  • North Berwick GC #11 “Bos’ns Locker”. 晴れ上がると、風でフェアウェイもグリーンもみるみる乾いて硬くなる。

カリフォルニアロールとゴルフ

ゴルフの全英オープンは、いわゆるリンクスと呼ばれる茫漠たるゴルフ場で行われる。リンクスは、日本人の目からすると特殊なものに見える。ただ、知っての通りゴルフはあちらのリンクスが原点である。英国で育まれ、米国で大きく羽ばたいたスポーツだ。「日本人の目」は、ゴルフ全体からするとかなりローカルな感覚に違いない。この点について、生まれた時からゴルフと共にあり、世界中の評価の高いゴルフ場を回った事のある友人は、日本のゴルフ場は、やはり特異であると言っていた。

「日本人からすると、海外で見る日本庭園は、どこも何かおかしいでしょう。同様に、日本のゴルフ場を英米人が見たら、そう思うでしょうね。」

なるほど。ガーナの野口英世記念日本庭園は、サボテンが生えてて唖然としたからよく判る。言い換えるとすれば、日本のゴルフ場だけの経験でゴルフを語るのは、米国人がカリフォルニアロールだけを食べて寿司を語る様なものなのだろう。カリフォルニアロールも美味しいけど、それは本場の日本人からすれば、寿司じゃなくて"スゥシィ"であって、それで寿司のユニバースは語れないと言う事だ。
 言われてみれば、米ゴルフマガジン誌選定の世界のゴルフ場トップ100に、日本からランクインしてる廣野、東京、川奈、ときどき鳴尾といったゴルフ場は、みな英国人のチャールズ・H・アリソンが設計なり改造なり何らかの形で関与している。一方、日本国内では評価の高いゴルフ場は他にも数あれど、クラブ創設時から日本人だけで作られたゴルフ場は、世界トップ100に一つもランクインしていない。日本人設計家の代表格である井上誠一のコースのメンバーシップを保有する身として残念極まりない。日本人が作ると、知らず知らずに、GOLFじゃなくてGORUFUになってるのだと思われる。
 これに対し、ランクインしているゴルフ場は、みな古い歴史をもった格式あるゴルフ場だからポイントが高いのであって、設計は評価の要素の一部に過ぎない、という反論は有り得るだろう。しかし、お隣韓国から唯一ランクインしているナインブリッジズは2001年の開場とごく最近であり、他の国からも比較的新しいゴルフ場がぽつぽつとランクインしている例を挙げる事が出来る。これは、設計が素晴らしければ、新しいゴルフ場でもランクインしうる事を示す。そして、チャールズ・H・アリソン以降に出来た数多ある日本のゴルフ場には、(選定者の米国人・英国人からすれば)そこに目を見張るものは無いという事なのだろう。ただ、もう一度繰り返すが、この事実をもって、日本のゴルフ場、あるいはカリフォルニアロールがダメだと断じている訳ではない。どちらもローカルの人々にとっては、楽しめる存在だからである。言えるのはただ、それらは各々が属するユニバースの中で、かなり辺境に位置する特異なものだ、という事だけである。
そんな訳で僕は、ゴルフのユニバースを語るべく、9月のスコットランドへ旅だった。